生活

自分は自分の人生のある側面について鈍感なのかもしれないと思うことがある。
働いて、食べて、眠る。それ以外はほとんど楽しいと好きを優先して動いていて、毎日まあまあ、幸せだと思う。もうちょっとこうなったらいいな、こうできるようにしたいなと思うことは多々あれど、きっとそのくらいでちょうどいい。

私が深刻でないことについて、たまに、なんでそんなにのんきなのと言われることがある。もっと悩むべきではないのか。年を取るということについて、一人でいるということについて。
そうなのかもしれない、と思う。
いつか、ものすごい後悔をすることがあるのかもしれないとも想像する。

ただ、否応無さというのは時々、唐突に訪れるもので、
あり得たはずのものについて想像してもきりがないし、自分は自分が選んできたものでできている。
永い言い訳」を見て思ったのはそんなことだった。

新宿TOHOに行った後は、歌舞伎町の出口にある横断歩道を渡るのがすごく億劫で、でもちょっと好きだ。信号が変わったとたんに入り乱れる人の群れから拭われたいと思う。ただ、ぶつからずに歩くのは至難の業とも思える数メートルで、ちらりと見る西新宿の空は広い。
いくつもの映画の余韻で上書きされる、この風景が私にとっての東京だ。
10年前は執着できなくなっていく自分を思い、10年後の今はそれはほんの一面だと知っている。
人には向き不向きがあり、居心地よく生活するためには、自分に向いた価値観を応用するのが近道だ。
足りないものはずっとある。今はそれでいいし、10年後の私は何を特別に思うのか、少し興味もある。

 永い言い訳

小説家の男が、妻の死をきっかけにある父子と出会うお話。
先日会った友人に、絶対見た方がいいよ、と背中を押されて見に行ってきた。
夜にご飯の約束が入っている日の昼間に油断した気持ちで見に行ったのだけど、開始早々、気持ちの隙間のような部分にサックリ刺さってしまって、上映中はずっと涙が出て仕方なかった。
泣いた後に町を歩くと、なんだかフワフワした寄る辺ない気持ちになる。何度も道順を確認しながら、呆然とした気持ちのまま、おいしいご飯を食べにいった。

これはひとごとじゃない、と思った登場人物は2人いて、それは妻を亡くした主人公の幸夫と、同じく妻を亡くしたトラック運転手大宮の長男、真平くんだ。

幸夫は、かなり嫌な奴だと思う。疑り深くて、プライドが高くて、自分を守ることに精一杯で他者の痛みに鈍感。
妻を亡くした後もずっと「妻を亡くした男の振る舞い」を模索しているような表情をしている。小説家なので言葉はたくさん出てくるんだけれど、その言葉に感情は伴っていない。
ただ、彼自身が思い描く「正しい振る舞い」ができるわけではない、という程度に幸夫は正直者というか偽れない人でもある。

物語では、そんな幸夫が妻の友人(同じ事故で亡くなった)の子どもの面倒をみるようになる。
これは「親切な振る舞いをしたい」ということでもあったのだと思うけど、たぶん、幸夫にとって子どもとの関わりは「よく見られたい」という焦燥から解放される瞬間だったのではないだろうか。

真平くんは小学生ながらにとてもしっかりしていて、まだ幼い妹の面倒をよく見ている。
真平くんの、長男であるがゆえの責任感と、責任感が空回りして自ら辛くなってしまう感覚は、自分も4人きょうだいの長女なので身につまされるところが多々あった。
頑張っていることを褒めて欲しいんだけど、よく言えば豪快、悪くいえば繊細さに欠ける父親は彼の努力には気づかず、褒めてくれるお母さんは亡くなってしまった。

幸夫と真平は、プライドが高くて、自分の殻に閉じこもりがちという意味で近しくて、だから他者の気持ちに鈍感な幸夫も真平の心には寄り添うことができたのだと思う。
そして、大宮家に必要とされるうちに、幸夫はそのいびつさを見て見ぬ振りしつつ、そこを自分の居場所だと考えるようになる。
その居場所が奪われそうになった瞬間、子ども相手にかつて妻にぶつけていたような嫌味を口走ってしまう幸夫は、とっても子どもじみた態度でみっともないんだけど、切実で、深く身にしみて愛おしく思えた。

守るものがあると弱くなる。
私はそう思っているし、たぶん主人公もそう思っているような気がする。
それでも、主人公が最後に辿り着いた結論には、弱くなることを補ってあまりある何かを手に入れた確信があった。

使い古されたノート、一人で洗濯物をたたんでいる瞬間の、テレビの音。だんだんと登れるようになっていく坂道。
見た後も、積み重ねた幾つもの光景が甦ってくる映画だったし、映画を見終わった今も、幾つものシーンを思い出して涙ぐむことがある。
幸夫が、亡くした人のことを大切に思っていたのかという点について、私は「いいえ」だと思う。大宮家についてもあの家に通っているくらいがちょうどよく、もしあそこに住んでいたのだとしたらうまくいかない人なんじゃないかとも思う。人はそう簡単には変われない。
ただ、今の自分だったら大切にできたとは思っているのだろう。
そう思えるまでの、永いリハビリのような物語だった。
素晴らしかったです。

まだ小説版を読んでいないのだけど、読んだあとに答え合わせをしたいので、先に感想を書いておく。

 概念と物理のバッティングセンター

もう何年も前から「バッティングセンター」に憧れていた。
球漫画でよく見る、バットがボールの芯を捉える瞬間。ボールがぐにゃりと曲がり、時には回転をしながらバットに弾き返されホームランとなって場外へ消えていく。
時折その瞬間を思い描いては、もしその手ごたえを感じることができたらどんなに気持ち良いだろうと憧れ、いつしか鬱屈した気持ちのときには「バッティングセンター行きたい」と唱えるのが習慣になっていた。

憧れのソースが漫画しかないことからもわかるように、私は野球をやったことがなければ野球を生で観戦したこともない。
ただ、大学生の頃よく友人と集まっていたファミレスの向かいにバッティングセンターがあって、友人の車を待ちながら駐車場をぶらぶらと歩いているときなどに、ライトアップされた緑のネットの中から小気味良い音が聞こえてくるのを聞いていたくらいである。

だから私の中のバッティングセンターはずっと概念だった。
もやもやした気持ちやストレスを小さな球に見立てて、出来るだけ遠くへ弾き飛ばす。
そうやって気分転換ができればいいなという気持ちが、私にとっての「バッティングセンター行きたい」だった。

しかし今年になって、よくバッティングセンターに行くという友人に誘われ、本物のバッティングセンターに行く機会があった。
正直にいえば私は運動がとても苦手だ。逆上がりもできないしボーリングの球は背後に飛ばすしキックボードに乗ろうとして足をとられて転んだこともある。だから本物のバッティングセンターに行ったら、球が当たって死ぬのではないか位は想像していた。

でもまあ、結果的には死ななかった。
ただ、バットがボールの芯を捉えるなんてことは夢のまた夢なのもわかった。
一番遅い球に設定してもらっても、球は剛速球に感じる。
遠くにあるときは見えているのに、手元までくると見えない。この感じ漫画で読んだことがある!と思ったが、それはまた違う効果の話だろう。
それでもバットを構えれば、たまに球がバットに当たった。あくまでも球の方から当たりに来てくれる感じだが、当たりは当たりである。
ただ、これがめちゃくちゃ重い。速い球は重い。これも漫画で読んだことがあるが、私が当てたのはあくまでも最も遅い設定の球である。

つまり、物理としてのバッティングセンターは、初心者のストレスを解消してくれるようなものではなかった。
それでも、たまに「当てようとして当たった」感があると楽しいのも確かで、
ストレスというのはそうやって、ある程度苦労した末に得られた何かによって解消されるものなのではないか、と思いながら、今日は五徳を磨いている。

まだバント的なポーズでしか球を当てたことがないので、いつか物理のバッティングセンターで、ストレス解消ができるくらいになりたいものだなと思っています。
ちなみに五徳は初心者が磨いてもきれいになるので、ストレス解消法としてオススメです。

全員主役映画/「HiGH&LOW」と「スーサイド・スクワッド」

物語よりも、キャラクターが残る「キャラ先行型映画」というのが最近の流行なのかなと漠然と思うことがあり、それを特に強く感じたのが「スーサイド・スクワッド」を見たときに「HiGH&LOW」みたいだなと思った瞬間だった。
どちらも映画の冒頭にキャラクター紹介があり、各キャラクターの回想シーンを織り交ぜながらお話が進む、という点でそう感じたのだと思う。

とはいえ「スーサイド・スクワッド」で最終的に残るキャラクターはたぶんそう多くない。ハーレイ・クインが魅力的なことについては、あの映画を見た人の多くが同意するのではないかと思うけれど、正直それ以外のキャラクターについてはジョーカー以外それほど…というのが個人的な感想でした。
けれど、ハーレイとジョーカーのそれまでやこれからという余白を想像する楽しさは映画を見た後も続いていて、それがつまり「キャラ先行型映画」ということなのではないかと思った。

自分が「HiGH&LOW」を見たのは完全にインターネットで↑の暁生カー*1の画像を見たからなのだけど、正直LDHという言葉も知らず、EXILEといえばマキダイがいたこととネスミスくらいしか知らない状態で見に行った(しかもその2人とも出ていない)ので、最初はどの人が重要人物かよくわからず、戸惑いしかなかった。
でも、チームが提示され、その中の人間関係が窺える程度に説明され、その全てに関係性という物語の匂いがする、というだけで俄然楽しくなってしまった。

私の推しチームはなんといっても鬼邪高校なんですけど、鬼邪高校だけにスポットが当たっているシーンなんてほんのわずかなんですよ。
でも「俺らは3年だからさ、あいつらに迷惑かけらんねえ」みたいなこと言いながら徒歩で討ち入りに向かおうとしている先輩を、トラックで追いかけてくる後輩、っていう図だけでもう、そこまでに至るストーリーを想像してぐっときてしまう。特に繰り返されるでこピンシークエンスなんて、物語しか感じないですよ…!(ドラマがあることを知ったのは映画を見た後でした)
さらに「HiGH&LOW」の場合は、「主役」として見れるキャラクターがとても多い。描かれるキャラクターの多くが主人公だし、誰を主人公としてみるかは観客次第という、まさに「キャラ先行型映画」であったように思う。

「HiGH&LOW」は、AKB48における「マジすか学園」の拡大版ともいえる作品だと思うのだけど、つまり、推しメンを主役に物語を見るファン目線で作られている物語だからこそ、主役になり得るキャラクターが多く配置されているんじゃないかと思います。これは「マーベル・シネマティック・ユニバース」に対応する「DCエクステンデッド・ユニバース」の悪役版として作られた「スーサイド・スクワッド」にもいえることで、つまり、推しキャラの背景を(知った状態でも知らない状態でも)脳内で補完しながら見るのがもっとも楽しい見方なのかもしれません。

とはいえ、それは一つの物語として成立しているのか、というと難しいところもある。ただ、提示された余白を楽しむという形の娯楽は確かに流行っているし*2、その流れが今後どのように進化していくのか楽しみでもあります。


「HiGH&LOW」については、スマートとは言いにくい構成にもかかわらず、めちゃくちゃ豪華な画作り&アクションで見せる圧倒的力技感も新鮮でした。
THE RED RAINも見に行きます!
www.youtube.com

*1:少女革命ウテナで鳳暁生編に登場する有名なシーン

*2:艦これ、刀剣などはその代表だと思う

BABYMETAL@東京ドーム20160919

3連休に友人と旅行に行ってきました。
その旅行もとても楽しかったんだけどそれはまた改めて書くとして、その旅行中に「19日(東京に帰る日)の夜のBABYMETALのライブのチケットが1枚余っていて」ときいて、思わず「誰も見つからなかったら行きたい!」と言って、連れていってもらいました。東京ドーム。
完全に予習不足な状態で、初めて見るのがワールドツアーの最終公演、って気後れする部分もあったのだけど、結局、完全に圧倒されてしまいました。すごい。しばらくそれしか言えなかった。

私がメタルに興味を持ったのは2006年のサマソニメタリカを見たのがきっかけでした。長らくCD屋で働いてたくせに聴いたことなかったの? と当時の同僚にあきれられたりもしたけれど、ほんとにそれが初聴きくらいで、その猛烈なかっこよさに、なんとなく近寄らずにいたジャンルへの扉が開いたような気持ちになったのをよく覚えています。
その後、LOUD PARKに誘ってもらったり、一人でメタリカの来日に行ったり、メタル関連のドキュメンタリー映画を見に行ったりしていたのですが、まあ色々あってアイドルにはまり、そちらが忙しくなってあまり掘り下げられずにいたわけです。

ベビメタを知ったのはたぶん2011年頃、さくら学院に「重音部」が発足し、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」が演奏され始めた頃のことだったと思う。
アイドルとメタルの組み合わせはとても新鮮で魅力的に感じたし、メンバーもかわいくて興味を惹かれたのだけど、でも当時はほんと色々手一杯でネットで動画を見るくらいしかしていなかった。

その後、LOUD PARKへの出演がアナウンスされてからの諸々やそれを成功させ、海外へと進出していく様子はネットなどで目に入っていて、いつかライブを見てみたい、なんてぼんやり思っているうちに、あっという間に簡単にチケットが手に入るような存在ではなくなってしまった、という印象でした。そのかけあがり方は、少しPerfumeを見ていたときににていると思う。

前置きが長くなったけれど、つまり何が言いたいかというと、メタル(特にスラッシュメタル)に興味があり、女性アイドルが好きな自分にとって、BABYMETALは好きなものと好きなものの融合であって、それはやっぱり最高だった、ということです。

とにかく1曲目で盛り上がりが最高潮に達するパフォーマンスの完成度に驚く。
噂にはきいていたけれど、神バンドの演奏はひたすらかっこよくて、3人はめちゃくちゃかわいい。
というかアイドルとしてこの3人ってすばらしいバランスですよね!?
センターの長女がポニーテールでサイドの2人はツインテールっていうのもいいし、身長のバランスも完璧。SU-METALの「かっこよさ」とYUIMETAL&MOAMETLの「かわいさ」の対比もぐっとくる。
3人とも踊りまくるのに声は力強く、ダンスはキレッキレ…。指先、足先まで揃っているのに個性がある。
「ありがたい」という言葉そのものの意味で、このパフォーマンスを見れていることのかけがえのなさに胸がいっぱいになりました。

アイドルのジレンマとして、芸を磨いていくことが必ずしも人気があがることに繋がるわけではない、ということがあると思いますが、この3人については既にアイドルの領域で競うというよりも、三位一体のアーティストなのだなと思います。
これは本当に、プロデューサーの手腕と、楽曲と演奏のクオリティと、それにパフォーマンスで応えることができる3人がうまく噛み合った奇跡的なことなのだと感じました。
だからこそこの3人のモチベーションはどのようなことなのかということは気になったりもしました。

中盤にあった、SU-METALのソロも素晴らしかった。
昔見た映画*1で、ブルース・ディッキンソンが「会場の一番奥にいるファンにまで届くように歌う」「ライブがうまくいくと、会場が縮むような気がする」というようなことを語っていたのがとても印象に残っているんですが、SU-METALの歌声はまさしく会場の隅々にまで届く声だったと思うし、その声が響くのに東京ドームが「広すぎる」ということはまったくないと感じた。

YUIMETAL&MOAMETLの2人曲もひたすら楽しくてかわいくて、知らない曲でも思い切り楽しんでしまった。2人の曲は特に自分が好きだった絶望少女達を思い出したりもしました。

それにしても、こんな完成度の高いライブを行うことのできるグループがまだ2枚しかアルバムを出していないなんて信じられないけど、レコーディングよりもライブを優先してきたからこその現在なのだなとも思う。噂通り、本当に外国からのお客さんが多いことも印象に残りました。海外から遠征してくるファンが多い日本のバンド…ってなかなかいないですよね。
よくわからないですが、私もどんどん遠征していこう!という気持ちになりました。好きなものを追いかけるのって楽しいですよね。

既に、なにかひとつのジャンルに当てはめて語ることが難しい存在になっているBABYMETALが、ここからどこを目指していくのか、とても楽しみです
いやーほんと見れてよかった!!