2月

2月は逃げ月といいますが、その名にふさわしい、あっという間の2月だった。
バレンタインの催事に行ったのだって1月だし、それを食べ終えたの一昨日くらいだし、狐につままれたような気持ちで3月に切り替わったカレンダーを見る。
2月。
今年こそは手帳日記をつけようと思っていたのに2月はほとんど記録をとっていなかった。
天井の高いラウンジでからみた曇り空とおいしいローストビーフのこととか、南千住の駅におりたらうなぎのにおいがしたこととか、駅の近くにホテルがたくさんあったのはなんでだったのかなとか。
思い出すことはいろいろあるのに、いつかそれも薄まった記憶の中に沈んでしまうのだろうか。


月半ばには母の見舞いにも行った。
胆石をとる手術で、それほど長期の入院ではなかったのだけど、入院先の病院が近所だったこともあり、見舞いに行くことにした。とはいえ外出許可もでていて、外で食事をしたので、全くお見舞い感はなかった。
本当は病院の食堂に行こうと話していたのだが、土日はお休みだったため、外にでることにしたのだ。
「近くにおいしいラーメン屋さんがあるよ」と話すと母は「それより韓国料理はどう」と言った。手術明けに刺激物ってどうなんだろう、とは思ったのだが、やたらとオススメしてくるので、向かうことにする。
その理由はすぐにわかった。
店に入ったとたん「久しぶり!」と声をかける。
どうやら通院している間に行きつけになって店主と顔見知りになっていたらしい。
「手術したんだ」「えっ大丈夫なの?」「大丈夫大丈夫」「じゃあこれ退院祝いね」
なんて韓国海苔をプレゼントしてもらっているのを見て、母の相変わらずの社交力に圧倒されてしまう。
注文した石焼ビビンバに「辛くして!」とリクエストを入れて「塩分の取りすぎはダメよ!」と注意されてたくらいだ。
そんなやり取りを見ながら、私はカルビ焼き定食を食べた。
母が入院していた病院は私が生まれた病院でもあったので、母はしきりに「懐かしいでしょ」と言っていたが、当然記憶はない。

「取った胆石って見れるの?」
「次の定期健診でもらえるから見せるね」
なんて話をして別れたのも半月ほど前のことで、すでにその胆石も手に入れたと連絡があった。


ともかく毎年、今年こそはあれをやろうと心を新たにしつつも振り落とされるのがこの辺りなのだと思う。
なので3月はもう一度仕切り直しで、計画的に生活をしたい。なんて言っているうちにもう5日になっているので気を引き締めねばと思っているところです。

「LA LA LAND」

監督:デミアン・チャゼル
ライアン・ゴズリングのファンでミュージカル映画も好き、というわけですごく楽しみにしていた「LA LA LAND」、公開初日だった金曜日に見に行ってきました。

アカデミー賞歴代最多タイとなる14部門ノミネートという追い風もあってか劇場は満席。土曜に会った友人とも感想を話せたし、週末にはTwitter等でも感想をたくさん見かけることができてとても楽しいです。やっぱり映画館で映画を見る楽しみのひとつは、同じタイミングでいろんな人の感想を見れることだと思う。
しかも予想外に感想がめちゃくちゃ割れまくっているのも面白い。
私の観測範囲では「賛否」に割れているというより、大絶賛派と、よかったけど云々…派に別れているような気がするんですが、その「よかったけど」の後に続く内容もけっこう色々なので、私の感想も今のうちに書いておこうと思いました。

私の感想をネタばれにならない感じでまとめると、、大好きなシーンも5億点シーンもあるけれど、気になる部分も少なくなく中盤少し飽きてしまったのは否めない…と言う感じです。



【以下内容に触れています。】


美しいオープニングの群舞から、気のすすまなかったパーティに行くまで、ずっと歌って踊ってが続くのが夢見たいに最高だった。特にルームシェアしてるっぽい女の子4人が色違いドレスで道を闊歩するシーンの楽しさといったらなかった。

役者を目指している、でも浮かれた人たちには何となく馴染めない主人公ミア……という描かれ方は多少ステレオタイプにも感じたけど、パフォーマンスの魅力で振り切れる感じ。
ライアン・ゴズリング演じる、いつかジャズの店を開くことを夢見るピアニスト、セブとの運命の再会はそうロマンチックなものではなく――というのもかわいらしかったし、3度目の出会いからの、夜景を見ながらのダンスシーンは2人のチャーミングさが溢れていて最高に最高だった。
セブがミアと別れた後、来た道を引き返していくことで、彼女と歩きたくてついてきたことがわかる、っていう演出にもすごくぐっときた。


最初にうーん、と思ったのは、2人が付き合い出す場面。
彼氏とのディナーを退席して映画館で彼女を待っているはずのセブのもとに向かい、スクリーンのまん前に立ってセブを探す……という演出についてです。色んな人が言及していた場面だけど、個人的にも女優を目指し、スクリーンの中に憧れてる人がああいうことするかなぁ……、というところにひっかかってしまった。絵としてはきれいなんだけど。
それからジャズは会話だ、って演奏者を前にセブが喋り続けている……という場面もちょっと疑問だった…。
もちろん、そんな物分りのよいキャラクターばかりである必要はないと思うし、
例えばセブのジャズに対するこだわりは多少偏屈にも思えるんだけど、彼が神経質にフレーズの練習をし続けていることから、それを愛しているのだということは伝わってくる。
でもこの辺りで躓いてしまったのが乗り切れなかった原因かなと思います。

やがてセブは夢である店の開店資金を貯めるために、最初は気乗りしていなかった友人のバンドに入る決心をする。
2人は出会ったばかりの頃に、ケニー・Gのような音楽が嫌い、という話題で盛り上がるシーンがあって、その友人のバンドはたぶんその系統にあるんですけど、そのバンドに纏わることも、ちょっと馬鹿にしすぎているように感じた。もし自分が、あのバンドのファンだったら、メンバーがこんな態度なのは悲しい。ケニー・Gは私も苦手ですけども。

そこから色々あって、セブはバンドを辞め、ミアは女優デビューし、物語はハッピーエンドを迎える、ように見える。


個人的にはここまでの流れが少々退屈に思えてしまっていたのですが、
画面に「5年後」とでてからがすごかった。
色んな人の感想を見ていると、ここからがだめだったという人と、ここからがよかった、という人にわかれていたと思いますが、私はこれがあったからこそ、この映画を嫌いにはなれない。

5年後、女優として成功したミアはセブでなない男性と家庭を持ち、満ち足りた生活を送っているように見えます。
そこで通りかかったある店に、ミアが「いつか開くセブの店に」と提案したお店のロゴが飾られていることに気付くところで様子が変わる。

ここからの場面は、いわば「If」の物語なんですよね。
もしあのときこうしていたら、あちらを選んでいたら、という分岐の連続で人生は形作られていく。
そして積み重ねられた「If」が2人の再会に巻き戻ったところがこの映画のクライマックスだったと思います。
「現在」が悪いわけではない
でももしも、と考えてしまうことはどんな人の人生にもきっとあり、それでも人生は続く。

ラストの2人の笑顔を見て、そういうことに思いを馳せることができるところがとてもよかった。

ただ、監督は「If」の物語を描きたかったんじゃないのでは、という気もするんです。「LA LA LAND」という言葉がハリウッドを意味するということからも、あくまでも、夢を追う人々が集う街というものを描きたかったのかもしれないなという感触もあり、そういう一言で捉えきれないところが、見る人によって感じることがかなり違うのかもしれません。

あとはミュージカル映画だと思って見に行ったので、もっと歌って踊るのを見たかった、というのもある。特に予告で繰り返しOPの場面を見ていたのでもっと群舞が見たかったな。
……と、いろいろ書きましたが、豪華で美しくてチャーミングな映画であることは確かなので、もちろん見てよかったなと思っています。
とにかくピアノを弾くライアン・ゴズリングが見れるってだけでも5億点でてた。

いろんな人の感想を読んでみたいです。

「セッション」も「ラ・ラ・ランド」も、ラストに1番強烈なものをもってくるという構成が似てるなと思いました。
ichinics.hatenadiary.com

天気の話題

今年の1月の東京は比較的暖かかったので、自宅でエアコンを使うこともほとんどなく、机に向かっているときだけ電気ストーブをつけたるくらいでじゅうぶん足りていた。
寒いのが苦手な自分は外出時のウルトラライトダウン(ユニクロ)が命綱なのだけど、今年は1月中だというのにウルトラライトダウン無しで出かける日もそれなりにあって、つまり気分はほとんど春だった。

「まだ1月だっけ。今年は冬が終わるのはやかったねぇ」なんて話してたのは忘れもしない1月29日のこと。あの日はほんとうに暖かかった。
そこから数日後に2月がやってきたのですが、やっぱりというか案の定というか、
2月は完全に冬でしたね。

手がかじかむというのを久しぶりに体験したし、ちらりと雪やみぞれも降ったし(積もる程ではなかったけど)、あっそうそう冬ってこんな感じだった…って目が覚めた気がしました。
寒いのの何が嫌かって、まぁ寒いことなんですが、その次くらいに「寒くて身体に力が入る」というのがあります。力が入ると肩が凝る。肩が凝るとつらい。それが自然の道理ってやつですよ。
なので最近は、出来るだけ寒さを受け入れ、身体に力をいれずに過ごすことを目標にしているのだけど、これがなかなか難しいです。

ただ、最近嬉しいのは少しずつ日が長くなってきたこと。
最寄り駅の駅前広場にはだいたい10羽くらいの鳩が常駐しているんですが、出勤時間が薄暗くて寒かった頃はあまり見かけなくなっていたのに、最近また朝に見かけるようになった。
日が射している場所に膨らんだ状態で座って(この広場の鳩を見るようになってから、鳩ってよく座るんだなぁと知りました)日向ぼっこをしている姿はなかなかかわいい。
朝が明るいと少しは起きるのが楽になるような気がしますし、日向を選んで歩けば暖かい。

……というような内容を最近はよく時候の挨拶として話しています。

そういえばタマフルで「3月は春なのか冬なのか特集」をやるそうですが
私は「3月ってやっぱり春だな、あったかいし」と言うつもりでいるので、はやく暖かくなるといいなぁと思っています、

楽しかった話

先日、初めて同人誌というものを作ったのですけどとても楽しかった。
もっとはやくやってみたらよかったなとも思ったけど、そういう方向に熱が向かなかったのでそれは仕方がない。ものごとって色々タイミングですよね。

以下少し覚え書きを書いておきたいなと思います。

私はわりと石橋を叩くタイプ(つまり小心者)なので、とりあえず参加するイベントのひと月前に入稿するために諸々の準備を3か月前くらいからはじめることにしました。結果としてほぼ予定していたスケジュール通りに進行できたのですが、原稿を作ること以上に、初めて使うもの(イベントに参加するための諸々とか印刷所の見積りとか入稿データの作り方とか)の仕様を読んでそれにあわせて準備をすることに手間取った気がします。
ちなみに1番手間取ったのはサークルカットです。ふだんカタログを熟読したりはしないので、あれにどういう要素を盛り込めば良いのかってことがまったくわからなくて困った。

でもまあそういうのは予定ができないとやらないし、一度やってみればだいたいわかったりもすることなので、次はそこをショートカットできるんだなと思うと気が楽です。なんて自然と「次」を考えてしまうものなんだな、とも思いました。

参加にあたって1番心配だったのは、左右の人と挨拶する際に本を渡すしきたりがあるという噂は本当かということ(結果そんなイベントは発生しなかった)、島中の席からはどうやって出入りするのかということ(買い物しに行っているときには気づかなかった出入り口がちゃんとあった)で、あっさり解決したのはいいのだけど、問題はそんなことではなかった。

私は自分の書いたものをわざわざ買いにきてくれる見ず知らずの人がいるということにあまりリアリティは感じていなかったのだけど、
この机の上にあるこの本を目指して歩いてきてくれる人が本当に存在するということに、とても嬉しいのはもちろんだけど、ちょっとこわくなった。

この日記を続けていることにしても、私はわりと自己満足をモチベーションにするタイプなんだと思います。
それはそれで自分を動かすには便利なんだけど、でも自己満足の域を出れないのも確かで、
その時、私はちゃんと買ってくれる人がお金を出すに価するものを作れたのかな、という事が気になりはじめてしまうのがこわいと思った。
でもまあそれを気にするのは悪いことではないと思うし、どうだったかな、うまくできたかなと思いながら、次はもうちょっとうまくやりたいと期待してもいる。
そんなわけで、予定を決めてそれに向けて準備する文化祭感と、そうやって準備したものを手に取ってくれる人がいるということの有り難みとが相まったイベントで、
まだちょっと現実味がなくてフワフワしてるけど、かなり楽しかったのは確かだと思います。

改めて、何か新しいことをやってみるというのはいいなぁと思ったという話でした。
慣れないことに苦戦するっていうのは、初めての国に旅行しにいくみたいな感じですよね。
地図がちょっとでもあたまに出来上がると、また行きたくなる。

あみちゃん

私にはあみちゃん(仮)という同じ年の幼馴染がいる。
家は隣で、幼稚園は違ったけれど小学校は一緒だったから、毎朝あみちゃん家の黒い門をくぐり、「あーみーちゃん、がっこいこ」とあの定番の節で呼びに行くのがお決まりだった。
けれど小学3年生でクラスが別れてから、私たちは急激に疎遠になった。今となっては小学校であみちゃんが誰と仲良しだったのか、まったく思い出すことができない。
そして私が中学で私立に行ってしまってからは、ただの一度も顔を合わせて話をしたことがない。
今も実家は隣にあるのに、だ。

あみちゃんは感情の起伏の激しい子だった。
怒るとよく噛み付くので、私の腕にはしょっちゅうあみちゃんの噛み跡が青あざになって残っていた。
それからあみちゃんは独占欲の強い子だった。
私があみちゃん以外の友だちと遊ぶのを嫌っていたので、私たちが遊ぶときはいつも2人きりか、あみちゃんの妹や私の弟が混ざるくらいだったし、お互いの誕生日会に呼ぶのもお互いだけだった。
そしてあみちゃんはとてもきれいな子だった。
色が白くて唇は赤く、少し茶色がかった髪は細く艶やかだった。

幼稚園の頃は、昼間の時間をほとんどあみちゃんと過ごしていた気がするし、それが当たり前だと思っていた。
けれど小学校にあがると一気に世界は広くなった。
少し離れた場所の幼稚園に通っていたため、その頃の行動範囲に同じ年は私たちしかいなかったけれど、小学校になれば世界は広がり、団地まで行けば同級生はたくさんいた。
しかし、私が新しくできた友達と遊ぶ、といってもあみちゃんは絶対についてこなかった。
その頃、あみちゃんは高学年のお姉さんたちにかわいがられていて、私は「あみちゃんの友達にしてはかわいくない」とその高学年たちからは仲間はずれにされた。

やがて成長とともに、どうやらお互いの親同士はあまり仲良くないようだ――という事情も察するようになり、私たちは徐々に行動を共にすることが減っていった。そして3年のクラス替えでついに、その縁はほぼ途絶えたのだった。

正直に言えば、あみちゃんとの縁が切れたことにより、私は自由になったような気がしていた。友だちと遊ぶことに遠慮しなくて済むようになったし、誕生日会にあみちゃん以外の友だちを呼ぶこともできる。それに噛み付かれることももうない。

けれど今になって当時のことを思い出してみると、私の幼い頃の思い出の多くがあみちゃんとともにあることも確かなのだった。
建築中の家に忍び込んで固まる前のコンクリに足跡をつけまくって怒られたり、オジギソウで延々遊んだり、あみちゃんのお父さんのパソコンを触らせてもらったり、2人だけの秘密基地を作ったり。
今思えば私が憧れ続けている「サーティーワンのアイスケーキ」もあみちゃんの誕生日に出されているのを見たのが憧れのきっかけだった。

あまりにも長いこと離れていたせいで、私はあみちゃんのことをすっかり忘れてしまっていた。
それどころかある程度まで隣の家に住んでいたはずなのに、大人になったあみちゃんがどんな顔をしているのかもわからない。
でも、子どもの頃の思い出には大抵あみちゃんがいて、例えばあみちゃんが私の腕に噛み付くときに、力が入りすぎてちょっと顎が震えてる感じとかは、はっきりと思い出すことができる。

私はたぶん、あみちゃんを置いてきてしまったような気がしているのだと思う。そんなのは大きなお世話で、あみちゃんはあみちゃんで大人になって、もう誰かに噛み付いたりすることもないのだとは思うけれど、
でも朝、学校に行くときに迎えに行くのは常に私の役目だったから、私にはそれを「やめた日」があるはずで、
できることならあみちゃんが、そんなことをすっかり忘れて、幸せに暮らしていればいいなと思う。

今後会うことがあるかはわからないけれど、私の幼馴染はあみちゃんだけだった。