「髑髏城の七人 Season月 下弦の月」にはまった3か月の思い出

私が下弦の月に転がり落ちたのは2017年12月2日の昼公演、初めての「髑髏城の七人」どころか、初めての劇団☆新感線舞台でした。
ジューダスプリースト「Heavy Duty/Defenders of the Faith」が発車ベルのような音で途切れ、座席がまわりはじめて体にgがかかった瞬間、「なんかすごいことがはじまったぞ」と思ったのをよく覚えています。

目の前で繰り広げられる物語にあっけにとられていたので、天魔王が「森、蘭丸」って言った瞬間に「まじかーー!!!!」って驚いたし、月見の宴の最中、無界を後にしようとする蘭兵衛を見て焦ったし、スクリーンが開いて彼岸花畑が見えて、その中央に立つ蘭兵衛が振り返った瞬間、息の根が止まるかと思いました。死ぬ、と思いながら、ものすごい勢いで細胞が活性化しているような、とにかく「急がなきゃ」みたいな気持ちのまま第1幕が閉じた。

幕間では友人に「七人って誰なのかな~? 捨之介でしょ、蘭兵衛でしょ、…」って指折り数えながら話していたんですよ。これ同じ会話を別日に隣の人がしているのを聞いたりもしたので、たぶんみんな通る道なんだと思います。私もしっかりその道を通りました。
そして2幕が始まった途端、七人を数えることなんてすっかり忘れ「……これが噂の口説き酒(ここだけ予備知識があった)」「どうしちまったんだよ蘭兵衛さん!」「いけいけ天&蘭!」「いけいけおっとう!」「ヤメテ…それ以上天魔王をいじめないで…」って具合に振り回され放心した頃、あのシルエットをみてようやく「えっ七人ってこの七人なの!?!?」って驚いたのでした。

こういう驚き方っていうのは最初の1回しか味わえないことだと思うので、何も予備知識を入れずに見に行けてよかったと思っているし、その髑髏城が推しの出ている下弦の月だったことは本当に幸運なことだったなと思っています。初めての髑髏城はきっとその人のゆりかごかつ墓場ですからね…。かくして私は下弦の亡霊になったわけです…。

帰り道は、一緒に見に言った友達にずっと「どうしよう」って言ってた。知りたいことがありすぎて、ずっと彼らのことを考えていた。こんな鮮やかに足元を掬われスコーンと穴に落ちるのは2年ぶりで、その2年前もきっかけは廣瀬さんだったことを考えると、本当に恐ろしい人だなと思います。
私にとって廣瀬さんは推しだし、ファンなんだけど、ほかの推しとはちょっと違う感じがしているのは、そういう「きっかけをくれる人」であるところだと思う。本人を本気で追いかけはじめたら沼なのがわかりきっているので、常々用心して、浅瀬から応援しています(でも好きだよ!!)

そして、このときめきを確認しなきゃという気持ちで翌週(12/9)に2回目を見たら、細部がより見えるようになって楽しくて、でももっと知りたくなって上弦も見に行ったら、同じ脚本をこうも違う物語にできるってことに興奮して、もうここ(ステアラ)で暮らそうと決めた2017年末でした。
もともと同じものを繰り返し見るっていうことはそんなにしないタイプなのですが、月髑髏に関しては本当に、何回みても新鮮に楽しかった。
日毎に印象の変わる場面があったり、付け加えられていく仕草があったり、そうやって日々変化していく様子を見ることができるのはめちゃくちゃ面白くて、見るたびに泣いたり笑ったりする場面もあれば、今日こそは天魔王が勝つんじゃないかな? って手に汗握りながら見た日もあった(1/30とか)。
最初は全然泣く場面じゃなかったのに、繰り返し見ているからこそ泣けてしまう場面になるところ(おっとうが霧丸たちを追うところとか)もあった。
演目が同じだとしても一度たりとも同じ公演はなかった。
もちろん見た1回1回が一期一会の特別な1公演であることは変わらない。けれど、今回リミッターを外して「見れるだけ見る」をやってみて*1舞台ってこういう楽しみ方もあるんだなというのをはじめて知った気がします(同時にこれを知ったことが自分の運命を変えてしまうのでは? みたいな怖さも感じていますが…)。

手持ちのチケットは廣瀬さん誕生日の2/14夜が最後だったのですが、千穐楽機材席解放分を友人の協力もあってなんとかとることができたのは本当に嬉しかった。
前置きが長くなりましたが(なんとここまで前置きです!!)そんなわけで、極を見る前に千穐楽を含めた最後の感想を書いておきたいと思います。

先に結論を書いておくと、月髑髏が、下弦の月が大好きです!という話。

天魔王(鈴木拡樹)

天魔王の印象が変わったな、と感じたのは1/24のライブビューイングだった気がします。
それまではどちらかというと、彼の求める「天」は権力に近く、野心に突き動かされているというイメージだったのだけど、映画館のスクリーンに大写しになった「あのお方の天はすべて私のものだ」って天に向かって投げキッスをする天魔王を見て(投げキッスにはこの日初めて気づいたんですけどいつからやってたんだろう??)、下弦天にとっての「天」は「あのお方」に近づくための手段でしかないのかもしれない、というイメージに変化した。
そう思うと第1景の「価値も知らぬ貴様ら徳川の兵がいるべきところではない」というセリフも、自分こそが、愛したお方の天を奪う存在であるという宣言にも感じられるし、その上で、彼は自分をも滅ぼすつもりだったんじゃないか、って可能性まで浮かんできた。もちろんすべて妄想で、
きっとあの天魔王の胸の内を知る人はきっといないのだと思います。彼もきっと、誰にも明け渡すつもりはなかったんだろうな。そんな繊細なイメージの変化がとても切なく、魅力的な天魔王でした。

それでいて、蘭兵衛と捨之介に対する態度は初見からあまり変わらなかった気がする。
あくまでも私の解釈ですが、蘭兵衛については嫉妬もありつつ信頼もしていて「兵を置いていけ」と言われる瞬間まで切るつもりはなかったんじゃないかと思っています。
捨之介を下に見ているのは「地の男風情が」と言う言葉からもわかりますが、きっと天魔王は、殿の傍に置かれることこそが、殿からの信頼の証だと信じていたのではないかな。でも殿の「目」として地に潜っていた捨之介が殿に信頼されていなかったはずはないんですよ。そんな風に殿に対して近視眼的になってしまう天魔王だからこそ「殿は自分を見てくれていない」と勘違いしてこうなってしまったんじゃないでしょうか…。
そんな一人ぼっちで孤独な天魔王に「俺の背中には仲間がいる」なんてもう追い詰めるだけのセリフだよな〜〜って思う。頑張ってギリギリのとこに立ってた天の背中を引き寄せるつもりで突き飛ばしてしまう捨之介…(しんどい…)。
12月の段階では、あの後も生きてそうだなと思ってたけど、2月の天魔王はすごく強かったし、だからこそもう生き返ることはないと感じた。捨之介と蘭兵衛に対する態度はあまり変わっていないのに、殿への想いが深まったことで色合いが変わっていくのが美しかったです。

ちなみに、初めて見たのがあのカツラがはずれてしまった日だったのですが(初見なのでそういう演出かな?って思った)それ以降、襟を外すタイミングがくると後ろで結った髪をサッと前に持ってくる仕草がめちゃくちゃ几帳面な天魔王でよかった…。なんていうか役者が出てしまってる仕草ではあるんだけど、ああーー天魔王の器用貧乏!!って感じだった。
それから、忘れられないのがあの早業へ挑戦しつづけるストイックさです。
早業っていうのは、口説きのシーンで蘭に斬りかかられた天魔王がとっさに仮面を顔に重ね、外した時には頰に傷ができている…というもので、上弦の早乙女太一さんはたぶん最初からやっていたのかな? 私は早乙女さんにそういうシーンがあると聞いてから確認し始めたのですが、自分が意識してみるようになってからは挑戦してない回はありませんでした。
とはいえ、大きくつきすぎたり、うっすらっていう感じだったり、傷をつけているモーションがまる見えだったり…とかなり苦戦していたように見えたのですが、なんとアップで抜かれることがわかっているライブビューイング回(私が見たのはソワレのみですが)でもそれに挑戦し、成功していたんですよね…。エモい…。
そして千穐楽では、知らなければどうやってつけたのかもわからないような、綺麗なモーションに仕上がっていました。*2

髑髏城常連である早乙女さんとWキャスト…というプレッシャーは絶対にあったと思います。でもそのプレッシャーをプライドで跳ね除けようとしている細く小さな肩が、下弦天魔王の象徴だったように思う。
宮野さんはラジオで「(稽古場では)不器用ながらも実直にまっすぐまじめに進んでいく姿がすごく次男っぽかった」と話してらしたけど、下弦天魔王もまさに人に頼るのが下手な「次男」だった…。
カーテンコールでも3回目までは天魔王に徹し笑顔を見せずにいた天魔王が、千穐楽では回転カーテンコールの段階で笑っていたのを見た時は、不意打ちで嗚咽しそうでした。
本当にお疲れさまでした。鈴木拡樹さんの天魔王が大好きです。

兵庫(木村了

明るく、揺るがず、下弦の月を中心で支えてくれていたのが木村了さん演じる兵庫だったと思う。
変化が魅力でもあった上弦と比較すると、下弦はブレが少ない方ではあったけれども、若手キャストの中で初日から千秋楽まで、ずっとイメージの変わらない「兵庫」であり続けた木村さんの存在は安心だった。太夫よりも狸穴よりもおっとうよりも「兵庫」にブレがなかったと思う(ブレることが悪いという意味ではないです)。
たぶんもっと盛れる部分はあったし、そういう欲もきっとあったと思う。でも場面ごとに中心は誰かということを常に意識しながら全体のコントラストを調整してくれる役者さんだったと思います。
本当にいい男だなって思うし、この兵庫だからこそ荒武者隊のみんなに慕われていたんだなって説得力があった。太夫と末長く幸せに暮らして欲しいです!!!
(ただ、ひとつ脚本に疑問があるとすれば、こんないい男の兵庫が、おっとうを病気の猿扱いするかな?ってことです笑)

極楽太夫羽野晶紀

最高にかわいくてキュートで、時に意地っ張りな、愛される極楽太夫だった。
基本はそのイメージのまま、主に蘭兵衛と霧丸への接し方を調整していったように感じています。
初めて見た日、太夫と蘭兵衛は「姉と弟」ってイメージでした。でもだんだんと太夫は蘭兵衛のこと好きだったのかな? って感じることが増えていって、ライビュを境にまた「姉と弟」に戻っていったような印象を受けました。
蘭兵衛の最後、彼の手を何度も拭うのが、「血まみれの手」の「因果を私で消したい」という叶わなかった願いのようで、ほんとうに切なかった(「君死にたもうことなかれ」の音源化待ってますのでよろしくお願いします)。

霧ちゃんに対しては、どんどんお母さんみたいになっていくの可愛かった…。
ライブビューイング以降の太夫はとにかく涙もろくなってた気がしますが、霧ちゃんが「これ以上、誰かを犠牲にして生きるのは嫌だ」と話している後ろで、太夫が泣いているのを見た日はこちらまで泣いてしまった。
ある意味、霧ちゃんと太夫は「自分のせいで仲間を失ってしまった」体験をしている者同士なんですよね。そのことに太夫が気づいたのを「見てしまった」って思ったし、太夫が生きているのを感じた。

そして涙といえば、やはりラストの兵庫のプロポーズに対する嬉し涙ですよね。この2人はほんとお似合いだしさ〜〜、それを見てる捨と霧とおっとうと、モブ(観客)みーーーーんなにこにこしてしまう空間だったよ。本当に、末長くお幸せに…。

それからカーテンコールも毎回かわいかった!
たぶんLV以降、2回目は、兵庫にエスコートされて出てきて、帰りは蘭兵衛が手を差し出してエスコートっていうのが定番になってたと思うんだけど、蘭兵衛に対してはほぼ毎回、手を差し出されても素直にそれを受けずに「もう!あんたはー!」みたいな顔になっているのがね、なんていうか、別の世界線みたいな感覚で毎回ぐっときました。そういうとこも姉弟みたいだった(涙)

狸穴二郎衛門(千葉哲也

月髑髏一、色気のある男こと狸穴二郎右衛門。ほんと見るたびに好きになってしまってやばいなと思いました。特に好きなところは、おきりのこと、ちゃんと好きなところですよね…。
下弦の襲撃シーン、おきりの亡骸に向かって「成仏……してくれ……ッ」と土下座するとこ、徳川家康が土下座するんですよ…? そして「天魔王、貴様だけは…!」と頭に血をのぼらせて家臣にとめられるシーン。それまでずっとほろ酔いでにやけ面を保っていた狸穴だからこそのギャップ、恋に落ちずにいられましょうか(いやいられません)。

そんな思いもあったので、最初のカーテンコールラストで、左上の小部屋に立つ「家康」に手を振るおきりの姿がとても切なくて好きでした。
そして千穐楽。これはここで初めて気づいたのでそれまでやってたかどうか自信がないんですけど*3月見の宴の場面で、左上の小部屋にいる2人が「指切り」をしていたんですよ……。えっなにそれもしかして「来世で会おう」ってこと??
もちろんこれは繰り返し見たからこそ浮かぶ妄想なんですが、つまり舞台って毎公演がパラレルワールドみたいなものなのかもしれない、と思うんですよね。そう考えれば前世(それまでの公演)の記憶を残した狸穴とおきりが紛れ込んでいても不思議はない…、なんて今は思います。

それからラストシーン「二度と顔を見せるでないっ」の言い方がだんだん優しくなっていったのもよかったよ〜。とかなんとか言って、霧ちゃんお城に招いたりしそうじゃない? 孫みたいに可愛がりたいんじゃないの?? って思ったりしました。

宮野さんがラジオで、千葉さんの言葉をきっかけに、捨と狸穴の過去についても考えるようになった、と話していたのも印象的でした。
確かに終盤は、捨天蘭と狸穴はかつて別の名前で顔を合わせたことがあった、というのがセリフはなくても伝わるお芝居になっていたし、そういった、物語の背景がどんどん広がっていく様子が、何というか「愛着がわく」という感覚に似ているような気がしています。今はもう、下弦の月が私のゆりかごで実家です…。

贋鉄斎(中村まこと

下弦の月のキュート大賞を霧ちゃんと競っていた(私の中で)贋鉄斎。ほんとにずっと愛しくて大好きでした。
中村まことさんを舞台で拝見したのはこれが初めてなんですが、きっとものすごく「間」の感覚が鋭い方なんだろうなと思うんです。
贋鉄斎ルームに追加されていったアドリブっぽい笑い所、(刀が折れるとか頭皮をおさえるとか刀を差し損ねるとか色々)あれ毎回「アクシデント」っぽく見えて場内が爆笑するの、すごいことだと思うんですよ。実際私も何回見ても面白くて笑っちゃったし。お客さんの反応を見ながら、足し引きしていくのが上手いなって思った。
兵庫の錆びた刀に「土下座しろっ」って土下座させると同時に自分も土下座するのとかも大好きだった。
そうやって随所に笑えるポイントを作りながら、同時にコメディやシリアスの方向転換をする役割でもあって、例えば鎧を着た捨之介が霧ちゃんによって捨之介だとわかるシーン、「よく気付いてくれた」ってエモが高まってるところで、「毒を盛られたな」って切り出すのとか、小説のすごくいいところでページをめくる感覚に近かった。
中村まことさんの別の舞台も見に行ってみたいです。
余談だけど、「修羅天魔」の世界線がありなら贋鉄斎に弟子入りしている「霧」的視点の髑髏城ってのもありそうじゃないですか??

霧丸(松岡広大

霧ちゃん……(嗚咽)
初見から本当キラキラしていて大好きだったけど、見るごとにその好きが高まっていった。
特に、捨之介の、天魔王戦後のリアクションが変化してきた年の瀬から年始にかけて、グッと距離が縮まって、捨之介と霧丸は運命共同体になっていったように感じます。

12月の初めは、まだ1幕ラストで霧丸が蘭兵衛を追う理由がちょっと読めなかったし、一時は明らかに蘭兵衛を疑って追うようにも感じたのですが、捨之介、蘭兵衛、太夫の会話の一部始終を聞いていた霧ちゃんなので、最終的には「俺が捨之介のかわりに蘭兵衛が無茶するのを止めなくちゃな!」なんて思っての行動だったと思っています。
きっと舞台上では描かれなかった時間に霧丸は捨之介や蘭兵衛と会話をしていたのだろうし、捨之介が蘭兵衛を弟のようにかわいがっているのも見ていたはずだから。
けれど、蘭兵衛が天魔王側につくのをその目で見てしまい、もう一度疑いが芽生えてしまう。そうしてなだれ込む捨之介との対決シーン。天魔王の言葉によって警戒心でいっぱいになっている霧ちゃんはまるでハリネズミみたいに毛を逆立てて捨之介に刃を向ける。けれどちゃんと捨之介の言葉を聞いてもいる。本当は信じたいんだなってのが伝わってきてめちゃくちゃ切ない。
「何なんだよあんたは…」で一度下ろした短剣を「確かに熊木衆を全滅させたのは俺のせいだ」で再びかざす。それを捨之介は避けずに「だからなおのこと、お前だけは助けたい」と伝える。
きっと幼い頃から霧ちゃんは、熊木の、みんなへの思いを背負っていた。そうやって1人で戦ってきた霧ちゃんに、初めて背中を預けられる存在ができた瞬間だったのだと思います。
でも一度信じたらにはもう元気。捨之介に「お前なら髑髏党を出し抜ける」といわれ「当然だ!」って笑うところ、最高に男の子で大好きでした。

この後の霧ちゃんはもう頼り甲斐の権化ですよ。
天魔王と戦ってボロボロになった捨之介が「俺が引き付ける」って言い出した時もすぐにその意図を察して「地べたに這いつくばってでも生きろよ!」って喝を入れるの、めちゃくちゃかっこよかった。
家康に進言するときもね、目を逸らさないのがよかった。キラキラして希望に満ちあふれた強い目…つい先日「おれ霧丸」って自己紹介してた子とは思えない成長ぶりに、そりゃ家康だって金500両あげちゃうよね…。

成長と言えば1幕で太夫に「あんたみたいな子救えなきゃ、この里作った甲斐が無いよ」と抱きしめられ、抱きしめ返すことができずに手を浮かしていた霧ちゃん。その霧ちゃんが太夫とのお別れのシーンで腕を広げて見せるの(そして兵庫に割って入られるの)、最高の成長物語じゃないですか??? 金5000両あげたい。

松岡さんのエピソードでは、ライブビューイングの前日に「パックしました」って言ってたのがとても好きでした。その甲斐もあってか(?)、ライビュで大写しになった「もう決めたんだ」の表情はピカピカの絶品だった。
決めるべき時にバッチリ決めてくる男…そして大人たちの中でもひときわ大人な松岡さん…。今後も活躍を追いかけていきたいです。

捨之介(宮野真守

はじめて舞台で宮野さんを見たのは「王家の紋章」で、その時は「すごく楽しそうに舞台に立つ方だな」と思ったのを覚えています。声優さんとしての宮野さんの活躍はたくさん見て(聞いて)たけど、声のお仕事ではわりと繊細な印象のキャラクターを演じることが多いのに、舞台の上に立つと圧倒的に「陽」の光を放つ人で、そのギャップも面白いなと思った。
だから初日を見たときも「はまり役だな!」って思った。でもちょっとだけ硬い気もした。王家のときの楽しくて仕方ないって感じがあまりなくて、やっぱり座長だからかな、でもきっとここからだろうな、なんて思っていた。

たぶん序盤は、殺陣にけっこう苦戦していたんだと思うんですよ。足元は捨之介だけ草履(他のキャストの足元はほぼ足袋型の靴に鼻緒が書いてあるもの)だし、関東荒野の足場は斜めだし。そういうのもあって、他のキャストに比べて殺陣がゆっくりだなあって初見では思った。百人斬りでもまだ拍手は起きていなかった。
でもね、さすがプロですよ。翌週にはもう「キメ絵」をおさえた殺陣を選択してメリハリをつけていたし、年が開けるころにはすっかり「下弦の月」の柱になって、随所で笑いと喝采を巻き起こしていた。
そんな変遷を感じていたからこそ、先日のラジオで宮野さん自身、大きな舞台で、座長で、プレッシャーがあったと話していたのを聞いて、いろんなことが腑に落ちたような気持ちになりました。

そんな捨之介の相棒になっていくのが霧丸です。
霧ちゃんのところでも書いたけど、1月くらいから「捨之介と霧丸」の物語としての流れがすごくクリアになった。
同じ脚本でも日によって今日はこの視点の下弦に見えた、とか今日はこのキャラ視点でとか感じることが違うんだけど、でもその中心に「捨之介と霧丸」の話がちゃんとあるようになった。
12月末頃から、無界を去るときに蘭兵衛の頭をぽんぽんってするようになって、ああ捨之介にとって蘭兵衛は弟のような存在なんだなって感じるようになった。
年始頃から天魔王の死にショックを受けて「俺が引き付ける」と言い出す流れがクライマックスとしてすごく印象的な場面になった。そして徐々に天魔王との対決も、とどめをさせるところまで追い詰めたところで、捨之介が顔を逸らし、その刀を天魔王が引き寄せるという流れになっていった。
そうやって、繰り返される物語の中で、捨之介と天魔王と蘭兵衛3人の絆が、過去が、再構築されていくのを見ているようだった。

カーテンコールの最後は捨之介だけが残るのが定番だったけど、千穐楽では最後の最後に天魔王と蘭兵衛を引き止めて3人で肩組んで笑って、お揃いの見栄をきるポーズをして帰っていったの、まるで概念としての「あの頃」を見せられたような気がした。三人で笑ってたあの頃というものがきっとあった、そこに帰れないことは知ってるけど、それは確かにあったんだ、、、という気持ちで心が浄化された思いでした。
そんな風に宮野さんの演技は、背景にある大きな物語を見せてくれるものだった気がしています。
ありがとう宮野真守、ありがとう捨之介。霧ちゃんとタッグを組んで、これからも皆の太陽でいてください。

蘭兵衛(廣瀬智紀

千秋楽から3週間経った今も、月見の宴の夜、スッと開いた障子の向こうから白い着物に着替えた蘭兵衛が現れる瞬間を思いだしては息が止まりそうになります。舞台の回転は止まらず、小川の脇で振り返り目を伏せる姿もスクリーンにかき消され、次に開いた瞬間は一面の彼岸花畑。
その中心で振り返る蘭兵衛を思い出すたびに、行かないでって思うし斬られたいって思うんですよね…。本当に無界屋蘭兵衛を考えた人は天才だと思う(ありがとうございます)。

オタクの悪い癖だとはわかりつつ前置きをすると、
(休憩ポイント)
私が廣瀬さんのことを応援し始めたのは2年前、私が初めて見た「舞台 弱虫ペダル」がきっかけでした。2.5次元と呼ばれる舞台を見るのもそれが初めてだったんだけど、幕が開いた瞬間、私の好きなキャラクターが「いた」と思ったのは今も強烈に覚えています。
2.5次元舞台と呼ばれるものがこんなにもファンの原作への思いを尊重してくれる世界なんだということに驚いたし、さらに役者さんも舞台上では「キャラクター」そのものとして存在してくれる。そういった、まずキャラクターありきな世界は2.5次元舞台独特のものであり、個性なのだと思います。
ただ、私はその舞台をきっかけに、何なら廣瀬さんよりも、その原作により深くハマることになりました。つまり、廣瀬さんの「解釈」したそのキャラクターに触発される形で、もう一度原作を読み直して二次創作も読み漁って、現在もはまり続けているんです*4。けれどそれはキャラクターと役者さんの同一視でも無いんですよね…。
つまり私は、「廣瀬さんの解釈」に興味があった。
髑髏城の七人について、ストーリーは知らなかったけれど、繰り返し上演されている演目だということは知っていて、だからこそ、これまでいろんな人が演じてきたキャラクターを廣瀬さんがどう解釈するのかを見たかった。
ここすごい難しいというか、微妙なズレだと思うんですけど。2.5を誇りに思っていて、そこで評価されてきた人だからこそ、「オリジナル」のない登場人物をどう演じるのか興味があった。
だから先日のブログ*5で、廣瀬さんが自分の「キャラクターに寄っていく習性」について葛藤していたことを書かれていて、何というか、そういう思いに対しても包み隠さずに向き合う誠実さこそが、応援したいと思うところだな、と改めて感じたりしました。

でも、決して舞台の上ではそんな葛藤は見せなかったと思うんです。
下弦の蘭はずっと蘭の花として、その日その日を懸命に生きて散っていった。皆に愛され、殿に恋して、ほとんど感情だけで動いているような美しいバーサーカーだった。
捨之介と再会するシーンの子どもみたいなびっくり顔。無界の女たちとのやりとりは仲睦まじく、おきりとはハイタッチまでしていた。太夫に捨之介を褒められればはにかみ、太夫に心配されれば大丈夫と抱き寄せる。
そんな人がなぜ、と思うし、その「なぜ」こそが下弦蘭なのだと思う。

夢見酒のシーンは抵抗してみせるけど、しゃれこうべみせられたときの反応は完全に「推しのレアグッズをみせられたオタク」でしたからね。
人の形に擬態していきていたけどあの人結局は殿にガチ恋オタクなわけですよ。好き好き大好き超愛してる状態で夢見酒飲んで、つかの間、殿の夢をみたのでしょう(そう考えると本当に厄介な男だな…)。

下弦蘭で最も日毎に印象が変化したのは無界襲撃シーンだと思う。序盤は「夢の中にいて自分がしていることがわかってない」印象だったのが、1月末あたりから「自分のしていることを理解しながら夢を見ているふりをしている」に変わっていった気がする。
刀をつたう血を指先で拭って舐める場面(これ本当にずるい)が、1/30からは自分でその指先を切って、血が流れるのを確かめているみたいにみえた。その行動を言語化できていない感じが、狂化って感じだった。

その狂化が解けるのが、「務め、ご苦労」の直前、天魔王に目を切られるシーンだったと思う*6
手探りで掴んだ剣を振りかざし、「殺す、お前だけは」と天魔王に斬りかかったくせに、その直後に天魔王をかばう理由は、完全に妄想だけど、目が見えなくなったこと=殿の夢から覚めるスイッチだったからかな、と思いました。
だからもう自分のしたことの重さに耐えられず、「地獄に落ちた男」として太夫の名前を呼んだんじゃないかな…。自分が極楽にいけるとは思っていないだろうけど。
蘭兵衛の死に顔はいつもきれいだった。捨之介が「今度は迷わず進めよ、殿が待つ場所へな」って言うけど、言われるより先にとっとと殿のところに走って行ったことでしょう。

宮野さんはラジオで廣瀬さんについて「すごくお芝居に真剣に向き合ってるのにふとした時に机の上がすごく散らかっていたりして、みんなで「仕方ないな〜よしよし」ってなる末っ子」と話していました。これもまた、下弦蘭そのものだったと思う。
いのち短し恋せよ蘭兵衛。「皆大好きだよ、一番好きなのは殿だけど」とか言いそうだけど大好きです。

ほんとね、あのブログを読んだ今、いろんな思いがあったのにまっすぐ育っててえらいよーーって泣きたい気分なんですけど、いちファンとして、最後にとにかく褒めちぎりたいポイントを挙げておきたいと思います。
その1は「殺陣ののびしろ」です!
最初から「こんなにできるんだ!?」って印象だったけど、なんかどんどん速くなったし、手数も増えていって本当に、牛若丸だ、と思ったんですよね。最初は拍手が起こることのなかった殺陣の見せ場全てでいつの間にか拍手が起こるようになっていたのもグッときた。廣瀬さんにはぜひまた殺陣のある舞台をやってほしいです(とかいってたら刀剣乱舞の映画*7がきまったのでありがたい!!!)
その2は、3か月に渡る公演中、体調も崩さず、声も枯らさずにやりきったところです。
正直ね、見てるこっちも手元のチケットを生かすためにインフルエンザにかからないように必死の攻防戦でしたけど、舞台上の役者さんはさらに大変だったと思う。
本当に、おつかれさまでした。そして最後まで素晴らしい蘭兵衛を見せてくれてありがとうございました。

髑髏城は自分が最初に見たものを「原作」としてアナザーストーリーがたくさん用意されている、そしてこれからも生まれていくコンテンツなんだと思う。私はまだ月以外にはワカドクロしか見れていないのだけど、初めて見たのがこの「上弦、下弦」というダブルチームによる公演だったということは、新規にも「髑髏城」のそういった魅力をわかりやすく提示してくれるものだったと感じています。
千穐楽で宮野さんが語ったように、上弦と下弦、合わせて一つの月髑髏でした。
なので私はきっとこれからも、この最高の最高だった月髑髏の思い出を胸に、下弦の亡霊として、髑髏城というコンテンツを推していくのだと思います。

本当に、夢みたいな3か月だった。
普段は体力温存タイプなので平日ソワレいって0時過ぎに帰宅して翌日普通に出社みたいなのを繰り返すの想像しただけで身構えちゃうんだけど、4時間近い上演時間は毎回あっという間だったし見たらてきめんに元気が出た。
千穐楽を見ることができて、これで成仏できる……なんて思っていたくせに、極のチケットもとっているし、メタマク先行にも申し込んでいるので、これからも楽しみです。

長々と書いてしまいましたがそろそろ極の初日が開けるので指を止めようと思います。
できるだけ早い円盤の発売を願って。
月髑髏が、下弦の月が、本当に大好きでした。



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『髑髏城の七人 Season月 下弦の月』にはまった話 - イチニクス遊覧日記

*1:ステアラにはそれができるシステムが用意されてたのも大きい

*2:なのに毎回次の場面では消してしまうんですよね。あれはもう、挑戦する、というこだわりだったのかな。

*3:ここはいつも蘭兵衛の家出待機だったから…

*4:ペダステ自体は友だちにチケットが余ったから、と誘われたものでした

*5:https://ameblo.jp/tomoki-hirose/entry-12360301879.html?frm_src=thumb_module

*6:目を切られるのは下弦だけの演出だったけどどういうきっかけでそうなっていったのか、いつか知れたらいいな

*7:「刀剣乱舞」が実写映画化!鈴木拡樹、荒牧慶彦、北村諒ら舞台版キャスト集結(コメントあり) - 映画ナタリー

スリー・ビルボード

「スリービルボード」を見たのは夜行バスに乗る直前だった。
仕事を終えた金曜日の夜、20時頃から映画を見て、23時のバスに乗る。そんな日に見るのにうってつけの映画だったような気がする。
物語は、ミズーリ州のある田舎町を舞台に描かれる。娘を殺された母親ミルドレッドが、遅々として進展しないその犯人探しに業を煮やし、寂れた道沿いに立つ3つの広告看板(ビルボード)を借り受け、あるメッセージを出す、というお話。
ミルドレッドは決して悲劇の主人公ではないし、いわゆる「善人」として描かれてもいない。彼女自身も自らの瑕疵を理解しているからこその、行き場のない怒りのようなものがくすぶっていてたまらない気持ちになった。
人に疎ましがられ、孤立してもなお、自分を曲げない彼女に対して、もっといいやり方があるのでは、なんて思いが湧いたりもした。
結果的に物事はかなり悪い方向へと転がっていくのだけど、見終わって感じたのは、世の中には思うさま転がり壁にぶつかって少し壊れてみないと止まらないことっていうのもあるのかもしれない、ということだった。
この物語には、どうすれば「よりよかった」のか、なんて解決策は残されていない。でも「かなり悪い」が「悪い」くらいになる方法はたぶんあって、それはこの先の未来にかかっているのだと思った。
皆それぞれに事情があり、積み重ねてきた時間があり、だからこそ簡単に変わることなどできない。ただ、現在は差別主義者で人々から煙たがられている彼も、生まれながらの悪人なわけではないのだということを教えてくれるような映画だった。
何も解決しているわけではないのに、風に吹かれるようなラストの開放感もとても魅力的で、
高速バスの車窓を流れるオレンジの街灯を眺めながら、少しだけあの映画の続きにいるような気持ちになった。

「髑髏城の七人 Season月 上弦の月」感想まとめ

ついに2月がきてしまいました。
2月は初志貫徹で下弦に捧げると決めたため(&有休が足りなくなりそうなため…)、多分上弦にはもう行くことができません…。なので下弦の自分内最終回を見る前に、私が見た限りの上弦の感想をまとめておきたいと思います。(って書いていたら友人がチケットを当ててくれて下弦の千秋楽に行けることになりました……圧倒的感謝……)
私が見た上弦は12/19ソワレ、1/7マチネ、1/26公演、の3回です。
TLを見ていると上弦については公演のたびに様々な感想が入り乱れており、どれが本来の上弦の姿なのかはよくわかりません。でもその定まらなさこそが上弦なのかもしれない、ということで私が見た3回を通しての印象を書いておこうと思います。円盤が出た時に読み返せるように…。

天魔王

私の上弦における推し、瞳の中のセンターは早乙女天魔王です。
早乙女さんの天魔王を見ると、毎回意識が奪われすぎるというか、気になってしまってついつい視線というか双眼鏡が向いてしまう求心力がある。これが人の男の力……怖いです。
チャーミングで、冷酷で、わがままでさびしがり。そういうイメージが入れ替わり立ち替わり現れるのだけど、言葉で定義しようとしてもするりと形を変える、玉虫色の天魔王だな、と思う。
12/19に見た時は扇子遣いがとてもうまくて、顔隠したまま何を見ているのか気になって、その扇子の向こうを双眼鏡で見ようとしているこちらが覗かれている…みたいな怖さがありました。
私、早乙女さんの舞台を生で見るのはこれが初めてなんですけど先日初めてゲキシネで「ワカドクロ」を見たら発声がぜんっぜん違ってて驚いたんですよね。この声の使い方も巧みで、
2幕の蘭兵衛との対決シーンで「お前のことだけを」っていうところで急に素の声に戻る(1/26が特に印象的だった)のが怖くて怖くてでも愛しくて仕方ないって感じでした…。
私は、手に入らないなら全て壊してしまえ、という意図で天魔王は蘭兵衛を呼び寄せたのかなと思っています。
本当はエゲレスのことなんかもどうでもよくて、全部ぐちゃぐちゃに壊してみたかった。自分が天にそうされたようにーー(私の妄想です)。
その狂った部分をきっと殿には見透かされていて、六天斬りで怖がって見せるのも、命に執着しているというよりは、もしかして、殿に罰を与えられることを待ってたりするんじゃないですか…と思った(完全なる妄想です)。
私の見た天魔王はそういう天魔王だった気がするけど、きっと「お前にはわからんよ」って言われる気がします。

捨之介

下弦の捨之介は、お調子者で懐が深く、しかし一人で諸々背負いこもうとする、少年漫画やニチアサ特撮ヒーロー像に近い捨だと思います。
だからこそ、上弦の捨之介を見た時には驚いた。
何となく浮世離れしているというか、ここではないどこかにいるようなイメージが上弦捨之介にはある。上弦が太陽なら下弦は月のようだなと思う。
線が細くて美しくて、なのに無界に向かう場面での女性慣れしてない感じ…!(下弦捨はここすごく楽しそうなので余計に対比が気になる)
誰にも腹を割ってない感じのまま後半に差し掛かり、六天斬りの場面は、追い詰めている側のはずなのに、なぜかガラス細工にひびが入ってしまったみたいな取り返しのつかなさを感じました。
だって宮野捨を見慣れつつある目には細いんですよすごく! そして佇まいからして、どこか儚い。ただ、その儚さの理由が、正直なところ、私にはよくわからないんですよね…。
いろんな方のレポを読んでいると、私が見た3回とはイメージがかなり違うな、と驚くこともあるので、上弦の捨之介については円盤でもう一度ゆっくり振り返りたいなと思っています。

蘭兵衛

下弦蘭に取り憑かれているため、上弦でも蘭兵衛をついつい見てしまうのですが、上弦蘭ね、ほんと下弦蘭とは別の生き物です。
「いい調子だなぁ髑髏党」っていうあの登場第一声からして「よっまってました」って声かけたいくらいの男っぷり。現代だったら天気のいい日は屋上で昼寝するタイプですよね。女にはもてるけど実は奥手。そんな感じの硬派なヤンキー蘭兵衛さん。
そんな彼が、天魔王に名前を呼ばれただけで、数珠を握りしめ心ここに在らずになってしまう、そのギャップが上弦蘭の魅力かなと思います。
1/7マチネの印象では、「殿の夢を」で完全に堕ちる印象だった。なので、何となく上弦蘭は殿はもちろんのこと、殿の野心とともに戦場を駆けるということそのものに取り憑かれてるのかなと感じました。
なのであの「楽しいなぁ」も「やはり自分は外道であった」という「諦念」の声に聞こえた。
では、なぜ天魔王は蘭兵衛を引き込もうとしたのか?
下弦天は「森蘭丸」が天になるために不可欠なパーツだったと思ってそうなんだけど、上弦天にとっての天はやはり「殿」だと思うんですよね。
だから「殿に成り代わって、殿の愛したお前を(もしくはお前たちを)めちゃくちゃにしてやる」という思惑だったのだとしたら、怖すぎるなと思いました。
三浦さんは目が大きいので、2幕ではあのらんらんと光る目の印象が残ります。あの目を閉じた先で、彼は殿に会えたのでしょうか…。

兵庫

個人的に、上弦のもう一人の主人公は兵庫なんじゃないかという気がしています。下弦は捨之介が兵庫たちの側にいるんだけど、上弦の捨之介は両者の間で揺れている存在に見えるから、かもしれない。
そして須賀さんの兵庫、引力がすごいんですよね、下弦でいう宮野さんと同じ、太陽みたいなタイプ。
2幕、天魔王と蘭兵衛が無界を去った後、下弦はむしろ「狸穴」のシーンという印象なんです。そこから、各自の決意を述べるシーンへと移行する。
けれど上弦の場合、ここから「雑魚だと思ってる連中の力」と宣言するまでずっと兵庫のターンに感じるんですよね。
上弦の兵庫について、最初は正直「太夫と付き合うようには見えないな…」なんて思ったりもしたんです。でも、だからこそ、この場面で2人の関係性が変わるのがよく見える。
仲間とわいわいやりながら、極楽太夫に憧れて追いかけ回して、でもそれはずっと一方的な関係だった。けれど、あの場面で、あの2人は初めて個人として支え合う関係になる。
そこからの、ラストシーンですよ。ラストのセリフが下弦と違うのもとてもいい。背伸びをしてきた兵庫だからこそのセリフで、そんなふうに「兵庫」の成長物語としても見れる。
下弦の場合、割と最初から兵庫と太夫はお似合いに見えるし、蘭兵衛が兵庫に向かって太夫を押し出したりもするので、まんざらでもない2人なんですよね。ラストシーンもどちらかというと「太夫が兵庫に支えられる」場面に見える。それから、襲撃後の場面も、間に「狸穴のシーン」が入ることでその後の「みんなの決意」へのワンクッションができている。
だから下弦では、兵庫は「成長するキャラクター」というわけではないんですよね。成長するのは霧丸に任せている感じ。
これはどちらが良いとかではなくて、強いて言えば下弦はそのように「役割分担があることでメインのストーリーがわかりやすい」のが魅力で、上弦は「日によって印象が変わる複雑なバランス」が魅力であることの、一因なんだと思います。

アイドルグループに例えると、明るくてちょっとドジで、でもガッツのある子がセンターのパターンが下弦で、影があるけど放っておけない、目を惹く子がセンターのパターンが上弦って感じ……。(あくまでも役のイメージの話です)
上弦の月下弦の月は、そんな風にチームのあり方からして異なっているのがめちゃくちゃ面白いな、と思っています。

余談ですが、そんなわかりやすさが魅力でもある下弦の月になんでこんなどハマりしているかというと、推しがでているのはもちろん、そのわかりやすさの中にも変化する部分はちゃんとあって、特に天魔王と蘭兵衛について解釈(というか深読み)のしがいがあるからかな…と思います。
下弦天、前まで殿よりも天という力を求めてた印象だったのに2/3あたりから殿への思いを滲ませてきたし、蘭のサービスもとどまることを知らないしでどうなってしまうのでしょうか。次の登城は14日です。月が沈むのが怖い。

「勝手にふるえてろ」/アンモナイトを抱えて沈む

監督:大九明子

《内容に触れています》

なんとなく、好きな映画だろうなと思って見に行って、やっぱり好きだったわって笑いながら見てて、でもちょっと背中がざわざわして、
主人公、ヨシカが「あぁぁぁ」ってなる場面でびゃって涙が出て以降、しゃくりあげないようにするのが難しいくらいずっと泣いていた。マスクをしたまま見ていたのだけど、マスクがびしょぬれになって、映画館出てすぐに新しいマスクを買ったし、翌朝は目が腫れていた。好きとか嫌いとかじゃなく、こんな風に殴られた映画は、ちょっと久しぶりかもしれないなと思う。私の中では「マグノリア*1ブルーバレンタイン*2「犬猫」*3などと同じ箱に入る映画、でした。

私が「勝手にふるえてろ」の何にそんなに殴られたのかというと、自分もまた、ヨシカのように、自分の中のお気に入りの思い出を、できるだけ鮮明に思い出すという作業に勤しんでいたことがあるからです。もう随分昔のことだけど、ゴポゴポと沈んでいく感じは身に覚えがありすぎて、やっぱりそれみんなやるんだな! と思った。アンモナイトはその重石。

ヨシカにとっての「潜りたい思い出」は、学生時代に片思いをしていた「イチ」との思い出だ。
他人から見れば些細な、二言三言の会話を、まるで運命のように大切にして繰り返し潜り続けて、10年が経っている。
そんな静止画像のような10年が、ヨシカが「ニ」と名付けている男性から、告白されることで再び動き出す。簡単にいえば「調子にのった」ヨシカは今の自分ならイチと関係性を築けるのではないかと、いろいろとやばい画策した末、ついに彼と2人で会話する時間を手に入れるんですよね。
でもね、ヨシカがずっっと大事にしてきたその「世界」はガラス越しで、向こう側から見たら大したものではなかった。
海だと思っていた水槽にヒビが入り、ヨシカはもうあそこには潜れなくなってしまう。
その「世界」との決別の朝が、最高に最高に最高に切なくて苦しくてしんどくて美しくて最高に好きでした。

私の10年は無駄じゃねえぞバーカ!って私も思ったことある。
でもいつか、そこに潜らなくても生きていける自分に気づく日が来る。その思い出にすがることを自らのアイデンティティにしていたのに(&そのことを指摘されそうになるたび他人を威嚇してきたのに)、時間が解決するなんて都市伝説だと思っていたのに、まるで水に落とした角砂糖のように、消えてしまったものは戻らないんです。
目が醒めてよかったね、不毛な片思いに見切りをつけて、現実のコミュニケーションをできるチャンスに恵まれてよかったねって人は言う。たぶん。その方が人生だもんねというのもきっと正解だ。
でももう二度と、イチを思い続けていたあの熱は戻らないのだということが私は寂しかった。
できることなら、ヨシカにはイチを好きだったことを後悔してほしくないなと思う。たとえ滑稽でも不毛でも、好きのエネルギーがあったからこそ生きられた時間というのもあるはずだ。
いびつかもしれないしどちらかといえば崇拝に近かったその感情は、でも誰かに笑われていいようなものではないはずだし、ヨシカにはその上に立って新しい、ガラス越しではない世界を手に入れて欲しいなと思います。

ヨシカには色々と問題もあるんだけど、とりあえず就職してたことと、くるみちゃんが夢じゃなくてよかったなと思いました。
「二」とうまくいくかはさておき、ヨシカがくるみちゃんにちゃんと謝って仲直りできるように、と願っています。

終盤のヨシカのブチギレについては責められても仕方なしとは思うけど、自分が一番気にしてて秘密にしてねって言ってたことをバラされたときに「ハァーーー??」ってなるのはわかる。けれど、くるみちゃんがそれをよかれと思って「二」に言ったのもわかる(いきなりラブホとかやめてよねっていう釘さしだと思うし)。なので、ちゃんと腹を割って話して、2人には仲直りしてほしいです。

あの世とこの世の間みたいな、お昼寝シーンがとても好きでした。

勝手にふるえてろ (文春文庫)

勝手にふるえてろ (文春文庫)

「髑髏城の七人 Season月 下弦の月」12月頭と後半&年始の比較と感想

髑髏城です。まだ書くのかという感じですが、私のTwitter TLにはこれから初見の方もいるので、ネタバレっぽくなりそうなことはこっちに書こうと思いました。あってよかったはてなブログ。というわけで、2018年も3日昼の下弦&7日昼の上弦を経て、ますます沼の広さに意識を奪われていますが私は元気です。
髑髏城の何がそんなに沼かって、最初は物語とキャラクターの面白さに尽きると思っていたんです。でも、上弦を見て、役者さん&チームごとのキャラ解釈を見るのも楽しいものだと気付いたことで、バーンと楽しみの枠が広がった感覚がありました。
でもね、たぶんそれどころじゃないんですよね。
私は髑髏城自体、下弦が初見だったのですが、その後色々な方の感想を読んでいるうちに、そうか、上弦下弦だけでなく、これまでの髑髏城との比較という楽しみもあるんだな……と気づかされました。中でもワカドクロというのはすごいらしい。そんなわけでまずはワカドクロを見ようとタイミングを計っていたのですが、今月末にゲキシネでかかるということを知り、そこで見ることに決めました。
正直、月に夢中になっている今の楽しい最高大好きな気持ちが、ワカドクロを見ることでどうにかなっちゃうんじゃないかと怖い気持ちもあるんです。だけど月が終わってから見て記憶を上書きされてしまうのも辛い。なので2月を残した1月末のタイミングで見れるならちょうどいいような気がしています。
なので、現時点の、月の感想をもう一度書いておこうと思いました。

※現時点での私は、上弦下弦どっちも好き、だけど下弦廣瀬蘭にはまっているので下弦を多めに通っています、でも上弦ももっとみたいよママ…というところです。

《以下思い切り内容に触れている&妄想多めです》

捨之介

12月のはじめ(12/2マチネ、12/9ソワレ)に見たときと12月の終わり(12/27ソワレ、12/3マチネ)に見た時ではずいぶん印象が違っていた。すごくよくなっていました。
まず捨之介にめちゃくちゃ安定感が出ていた。THE主人公。
さすがの宮野さんなので、最初に見た時から台詞回しには安定感があったんだけど、さらに盛ってきてる。宮野真守の捨之介になっていた。常に楽しそうで、頼り甲斐がある兄貴で、ちょっとチャラくて、懐が深い。
初見でちょっともたつくなと感じた「底抜けのバカってことだよ!」の部分も先に底を見せる身振りを入れてきたりとかでちゃんと笑いどころに変えていた。贋鉄斎の工房を訪れるシーンも、贋鉄斎のボケのいなし方に遊びを入れてきてる。でも決して悪ノリじゃなくて、捨之介と贋鉄斎の関係って昔からこうだったんだろうな、だからこそ協力してくれるんだなって説得力が出ている…。人徳人徳。

それから1幕終盤の、これから1人で髑髏城に乗り込もうというシーン。
捨之介さん、蘭兵衛の頭を、ポンポン、ってするんですよね…。これだけで、あっ捨之介は3人の中で兄貴分みたいな存在だったのかなってイメージに変わった。そして蘭兵衛も極楽に「いい男を友達にお持ちじゃないですか」って言われてすごく嬉しそうな顔をする…。
そんな兄貴分だからこそ、彼は天魔王を「止めに行く」と言うし、止めることができると思っている。甘ちゃんだなと言われようが(そんなセリフはないけど)、ああ甘ちゃんだ!って笑って見せそうな捨之介でした(歯並びが良い)。

でも、2幕になると、そんな捨之介の甘さが露呈してしまうんですよね…。
そんな捨之介を救うのが霧丸です。霧丸は、たぶん愛されて育った子で、きっと自分を守ってくれた人たちに近いものを捨之介に感じたんじゃないかなと思う。だからこそ、自らの恨みの大元に彼が関わっていることを知ってなお、捨之介を信じると決める。
だけど天魔王はその甘さを拒絶するんですよね。たぶん天魔王にとって捨之介の甘さ優しさは「屈辱」だったんじゃないかな。
でも捨之介にはその受け取られ方が想像できない。だからあのラストにショックを受け、「止められなかった」自分の無力さにうずくまってしまうのではないか、と思いました。

霧丸に支えられながら髑髏城を脱出しようとするところで「俺がひきつける。皆は先に行け」みたいなことを言い出す捨之介。12月27日のときはちょっと泣いてたような気がする。
兄貴分としてかわいがっていた(つもりの)天魔王を「自分が殺した」という事実を受け止めきれないという様子にみえました。そういうとこ、本当〜に甘いんだけど、そこで霧丸が叱咤するのがよい。
まさに「お前がお前を信じられなくても、お前を信じる俺を信じろ!」(下弦の2人は本当グレンラガンのカミナとシモン)だなと思いました。
兄貴分と子分みたいな関係性だった2人の力関係がいつの間にか対等になってる。大きくなったね霧丸。。。
本来なら、感情的なクライマックスはラストの水辺で家康に「だったら好きにしな」と言うシーンに持ってくるものなのかもしれないし、最初に見たときはそう感じました。けれど、あそこは霧丸たちのカットインに力点があるので、余韻を残すならこちらだとこのシーンにテコ入れしてきたのかなと感じた。
水辺のシーンは「精も根も尽き果てた」という状態に近く、そこに霧丸が助けにくるのが捨之介にとっては「人を信じるということ」が改めて報われた、「人を信じる自分」を信じていいんだと改めて思える出来事になったのではないでしょうか。
うーーーん、捨と霧の関係性、本当に尊い

天魔王

一方の天魔王、同じ脚本にも関わらず上弦と下弦が全く違うストーリーに見えるのは、早乙女太一さん、鈴木拡樹さんそれぞれの天魔王解釈の違いによるところが大きい。
鈴木さんは憑依型と評されることが多いようですが、そう見えるくらいに、ものすごく努力家なんだろうなと思うんです。自分の使えるもの(特に表情筋とか)全部使って役に尽くしている感がある。
だから天魔王もすごく丁寧、という印象になってきている、気がします。気がします、としか言えないのは天魔王自身が「天として振る舞おうとしている」存在なので境目が見えないんですよね…。
鈴木さんの天魔王はたぶん、恐ろしく、残酷で、冷酷無比な天魔王に、なりたいと願う小狡い男。
そのメインの部分は変わっていないのですが、12月末に見た時は最初に見たときより「悪」の要素が強まっていると感じました。

たぶん下弦の天魔王は自分こそが「天」の才を持っていると信じていて、そう評価されるべきだと思っているのに最後まで殿が自分の才を認めてくれなかった→ならば俺が、という発想で天魔王になるんですよね。
だから蘭兵衛を呼んだのも「天はそうするものだ」と思ってるからなんじゃないかな…。12/27ソワレの「待っていたぞ、蘭丸」のシーン、破顔といっていいほどに笑っていて嬉しそうで、アッこの人もしかして殿のロールプレイしてるのかな?って思いました。怖い。
「仲間の命乞いか」と言いながら鼻で笑う(ここ上弦とすごい違うポイント!この差がどちらも好き)のは、とかなんとかいってお前は殿(≒天である自分)を選ぶだろうと余裕ぶってるのかなという気がしてきます。

なので、天魔王はずっと「蘭兵衛は俺に従っている」と思って接しているんですけど、ここに認知の歪みがあるんですよね。蘭兵衛にとって天魔王はただの触媒に過ぎず、口説きの後はきっと「人の男」としか見てない。

私がすごく好きなのはクライマックス(クライマックスだらけでどこかわからないですが、蘭兵衛VS天魔王&生駒のシーン)へ移行する会話の部分です。
「この城は捨てる」と天魔王が言った瞬間、蘭兵衛は天魔王を切り捨てようとする。天の夢を叶えるために戦うことしか考えていないので障害物に成り下がる。
そして天魔王は「兵は置いていけ」と言われた瞬間、自分が蘭兵衛にとって天でもなんでもないことに気づかされてしまった、と感じた。

上弦と違って下弦の無界屋襲撃シーンは圧倒的に蘭兵衛が狂ってるんですけど(鈴木天は軍師タイプなイメージ)、下弦はここでちょっと天が気圧されて見える。殺陣の振り付け違うのかなって上弦と見比べて見て思うんだけど、やっぱりこのシーン、下弦天はあんまり楽しそうじゃなくなってる、気がする(12/2の時点ではもうちょっと楽しそうだったはず)。
なので、もしかすると、ここあたりから蘭兵衛の優秀さを思い出してしまったんじゃないかなって思っています(完全に私の妄想です)。それはつまり「自分と違って蘭兵衛は殿に評価されていた」と思い出すことでもあるんですよね。殿…。

蘭兵衛を得て天に近づいたつもりが、蘭兵衛によって天ではないことを暴かれた末の捨之介との対決。
捨之介に「俺の背中には仲間がいる」と言われた瞬間、口説きの「仲間の命乞いか」と言う場面とは打って変わって憎くてたまらないといった表情が見えます。
一人で頑張ってきた天魔王にとって(上弦と違い、たぶん生駒との間に信頼関係もなさそう)それは屈辱でしかなかったのではないでしょうか。そして一矢報いようとした末に掴んだ捨之介の刃を自分に向けたのは、打算だと思いますが、それが捨之介には効いてしまうんだな…。
(ちなみに鈴木天はあんな派手に去っておいて、実は生き延びて次のチャンスを狙うしぶとさがありそうな気もします)

ーーというのが年末年始を経て鈴木天に感じたことでした。
27日と3日という連続した公演で一番ブレがなかった。だからこそ「まとまってる」と感じてしまうところもあるんだけど、その器用さがまた天魔王の切なさにも繋がっている気がして私は好きです。
殿が蘭丸を贔屓せずに天魔王のこともちゃんと褒めてあげてたらこんな風にはならなかったんじゃないですかね〜と思う。

ただ、1つ納得いかないのが「明智をそそのかしたのも〜」という捨のセリフ。
それはほんとうに天魔王の仕業だったのか、ここはまだ考え中。

蘭兵衛

蘭兵衛についても、12月の頭と末ではかなり印象が変わっていました。
何より殺陣が格段にうまくなっている…!
廣瀬智紀さんって舞台挨拶やブログの印象ですごくふわふわした人、というイメージがあり、だからこそそういう役を振られることも多かったと思うんですが、この蘭兵衛はすごく「当たり役」だと思うし、確実にターニングポイントになる舞台だと思うので、今この瞬間を見逃せないという気持ちでいっぱいです。本当に目が足りない。
12月の頭に初めて見たときは、きれい!儚い!闇落ち!という感じで夢中になっていたのですが、12月後半ではかなりギャップのある役になっていました。

前半の無界の里シーンでは、女の子たちの輪にもすっと入っていける、柳のような男性というイメージで(蘭兵衛さんってきれいな顔してるよね〜って女子たちに言われてそう)、ここは初期から変わっていないと思います。
それなのに初めて「天魔王」に会うシーン、名前を呼ばれてハッとするところでスイッチが切り替わり始める。上弦は数珠を握って耐える「葛藤」に近いと思うんですけど(そこが人間くさくて良い)、下弦はむしろ失われていた記憶が蘇ってしまった、に近い印象(あとこのシーンは、里に帰る際の蘭兵衛の走り方がとてもきれいなので好きです)。

捨之介を見送った後、心配した極楽を抱き寄せ頭をぽんぽんとしてみせる、その時の目。それ頭ぽんぽんするときの目じゃないから!!というくらい怖い目を君はしていた…(12/27)。
だから黄泉笛のシーンはわりともう口説かれる気満々に感じます。ここの殺陣はすごく飛ぶようになってるんですけど半ばこの世ならざるものになりつつある感じで良い。
そして白い彼岸花花言葉が(諸説あるようですが)
「思うのはあなた一人」
「再会を楽しみに」
とのことで。蘭兵衛さん、、、。

そして2幕冒頭。殿の片鱗を求めて髑髏城を訪れた蘭兵衛の前には、天魔王を触媒にして殿が現れたんじゃないかなと思います。
なぜなら、無界の里襲撃シーンのラスト、門の前に立って「咆えろ咆えろ」と笑う天魔王の後ろで、蘭兵衛はずっと何かを目で追っているんですよ…。これは12/27も1/3もやっていました。
つまり蘭兵衛は天魔王なんて全然見ちゃいなくて、その目には多分、殿が見えているんじゃないかなと思います。殿と駆けた戦さ場を思い出して「楽しいなぁ」と呼びかけるのは、そこに殿を感じられるからなのでは。殿の亡霊に取り憑かれ、亡霊となった蘭兵衛さん…。

そんな蘭兵衛が最後に天魔王をかばう理由について考えてるんですけど、、、最後に天魔王に目をやられるじゃないですか。あれで、もしかして、殿の亡霊も見えなくなって瞬間正気を取り戻したということだったりするのかな。。。ここはまだ考え中です。
1/3は、目を切られたすぐ後、「殺す、殺すッ」って呟きながら天魔王を追うようになっていました。
でも27日のときはここが「殺せ」に聞こえて、なんていうか、殿が見えなくなって自分のしてしまったことに気づいた、とかだったら恐ろしいなと感じました。かなり妄想ですけど、、もう私も蘭兵衛さんに取り憑かれてしまっているので…。

後、廣瀬さんは瞬きをしないのが得意みたいで、1幕では普通に瞬きしてて、2幕になると全然瞬きしないので本当に亡霊感がある。そして階段落ちの後の死に顔がいつも美しいです。

霧丸と極楽太夫

霧丸、霧丸もすごいよくなっている。。。捨之介との距離がぐっと縮まっています。
2幕、「俺を騙したな!」と捨之介に詰め寄るシーン、避け続ける捨之介の言葉を信じよう、と決める瞬間の、胸倉掴んで胸に顔を埋めるみたいなとこ、最高にかわいい。。これは宮野さんとの身長差があってこその構図だなと思います。
そしてさすがの霧ちゃん、いちど信じたことは貫き通す男なので終盤の頼り甲斐がはんぱないですね。霧ちゃんがもう決めたというならその夢は叶うと思う。応援しています。捨のことは頼んだ。

それから極楽は、蘭兵衛と兵庫、それぞれとの関係性が少し変わったように感じた。
極楽から蘭兵衛に対するラブは確実にあったと思うけど、蘭兵衛はどうか…ちょっとよくわからないですね…。あの人、殿のことしか考えてないんじゃないですかね。
兵庫に対しては終始まんざらでもない様子にみえる&蘭兵衛もそれをニコニコ見ている、ので、極楽は蘭兵衛に対して、かつては惚れていたけれど今は姉のように接している、って感じなのかなと思っています。
そして12月頭との変化といえば、蘭兵衛の最後に、蘭の手を必死に拭うという仕草が入っていました。
きっと極楽は、彼を「生」の側に戻すことを自分の役目みたいに思っていたんじゃないかな。でも力及ばなかった、という思いに感じられて切ない。
そして、ラストの兵庫のプロポーズを受けて、本当に泣くのをみたのは12/27が初めてでした。
ここ、上弦では兵庫に泣かされるんですけど、下弦では極楽に泣かされるシーンになっていたと思います。

上弦と下弦

どっちがいいとかじゃないんですよね……どちらにもいいところがある。
ただ明らかにここはこっちが好み、と感じるところもあって、
無界の里に向かうシーンの捨(イントロのチャッ! チャッチャッ! ってところで傘を構えてステップ踏む捨!!)、狸穴&おきり(あぐらからの土下座→カーテンコールで狸穴に手を振るおきりで毎回泣けてしまう)、贋鉄斎の「ゆぅうう~げん!」とかは下弦が好き。

でも生駒の最期(これは早乙女天魔王だからこそなので、下弦にはあわないけど)や、兵庫のプロポーズのセリフ(これもキャラの年齢感と繋がってるけど)は上弦が好き。

いやでもね、どっちもいいんだよ…。どっちもいいのでどちらかを見た人にはもう片方も見て欲しい、と思っています。
そして私は早く他の髑髏城も見なくてはならない…。

月髑髏、まだ見れます!

下弦の月はまだチケット買える日がありますし、上弦もたまに戻ります!
あと前日販売&当日券販売もあってこれが意外と良い席でたりもするので(1/7の上弦は前日webで行きましたが16列目でした)オススメです。そして見た方はぜひ私に髑髏城のお話をしてください…当方切実です。
ONWARD presents 劇団☆新感線『髑髏城の七人』Season月 Produced by TBS|チケット情報・販売・予約は ローチケHMV[ローソンチケット]