日々雑記
ときどき、日記を書きながら、自分エモいなと思うことがあります。 エモ、という言葉を最初に聞いたのはロモロックとかエモコア、って音楽ジャンルとしての文脈で、確かシンプルプランの国内盤プロモーションでは、すでにエモエモと煽られていたように記憶し…
そんな諦観、もしくは世紀末的への失望は、あくまでも外に向かっているようで、実は内側、つまり自己との出会いにつながっている。 物語で描かれるそれは「世界のとらえかた」なんてつまらないことじゃなくて、試される場、チャンスが欲しいということのよう…
もう割り切れない場所、もしくは、システムの輪郭を見渡せる場所(それは同じ場所なのかもしれないけれど)に興味をもつのは、そこにあるドアを開けてみたいということ、もしくはドアを閉じたいということ(それは同じことなのかもしれないけれど)と、そん…
先日troubleさんにトラックバックしていただいた「月と太陽のおもいで。 − イノセンスへの憧憬/「ぼくがおんなのこになりたいわけ」について」という文章を読んで、いろいろ考えていたことを書いてみようかと思います。 まず、1年ちょっと(?)くらいtrou…
休日に、さて出かけよう、と思う。友だちとどこかへ遊びにいこうか、それとも1人で映画でも見ようか。考えて、映画にする。で、メッチャつまらない。1番、「あーあ、友だちと遊んでたほうが良かったなぁ」。まぁ、帰るか、と思うと急にすっげー土砂降りでズ…
自由意志があるのかないのかはまだ考え中だけど、すこし分岐先を考えてみたいので、とりあえず自分の興味がある「わたしに自由意志はない」の方に仮定して(……ってなんかの皮肉みたいだけど。)、私に自由意志は「ない」のに、それがあるように感じられるの…
日差しは暖かくて、冬なんだか春なんだかで眠いし、そんなふうに日々はどんどん過ぎてって、すでに2月も1週間たっていた2007年ですが、そんなぼんやり頭をハッとさせられたのが、「FLI-FLA」さんのこちらの文章でした。 さて、今年に入って最初に驚愕した…
「定義される」ことに抵抗したい、という気持ちもまた、どこかで身につけた『振る舞い』である、という方向から考えると、そもそも自分自身にだって「自らを定義する」なんてことはできないよなってことになるけど、だとしても、身体的な感覚として、心地よ…
しかし、国策として女子に向かって「勉強しなくていいですよ」ということはありえない。 男の子たちが「性差別だ」と怒り狂うことは目に見えているからである。 「ぼくたちだって勉強なんかしたくないよ」と子供たちは言うであろう。 内田樹の研究室:夢の少…
他人、つまり自分ではない「人」の存在を知っているとはどういうことだろう。 目に見える人。触れることができる人、は、いることを知ることができる、とする。ではTVにうつっている芸能人はどうだろう。実際に見たことはなくても、画面の中で動いているのを…
はじめてあらかわ遊園に行った日は、さむくて、くもった日だった。園内をぐるりとまわる小さな機関車は、運転手さんの丸い背中で視界が塞がれていて、曇りでも見晴らしのよい観覧車などに比べると、そう面白いものでもなかったのだけど、突然その背中がはじ…
「言語の使用はかならず規則を越えていくもの」というのは、言語の使用は常に「そうでなかったこともありえた」を含む、ということなんじゃないかと、とりあえず今のところは解釈してみた。そして、「意味」というのは常に、後からやってきて、言語の使用を…
駅前は帰宅ラッシュで、散らばっていくサラリーマンと、大学生やら部活帰りの学生服の輪が、あちこちで人の流れを割る。会社帰りの7時過ぎ、買ったばかりの漫画を読もうと思って喫茶店に入ったのだけど、やがて、だんだんと大きくなる声に、背後のソファ席…
例えばこうして日記を書くにあたって、ある引力に従うようになる、ということは書くことがうまくなったということではなく、言葉が、自分の意志するところから離れていくことであるような気がする。 自分の中にマッピングされた言葉の全容を見ることなどでき…
「言語の使用はかならず規則を越えていくものだと思います。」 先日(id:ichinics:20070115:p2)、このようなヒントをwoofさんからコメントでいただいて、しばらくそのことについて考えていました。…言葉について考えるのは、タマネギの皮をむくことににてい…
えー。 はやいもので、でも、やっと、でもない、あーそんくらいだよね、なんて具合に、はてなで日記を書きはじめて、2年がたちました。 書いたねー、結構。せっかくだから何エントリ書いたか数えてみようかなって、思ってすぐあきらめたんだけど、たぶん180…
哲学にまつわる話や、例えば文学作品の批評などで時折出会うのが「それは○○だ/○○ではない」といった言い回しで、その○○には哲学者や作家の名前が入るんだけど、私がわからないのは、そういった発言は、そこに書かれていることや言われたことを理解し、その…
「東京猫の散歩と昼寝」さんの「言語について素朴に考える(1)」という文章を興味深く読みました。すごくおもしろかった。まだ続くらしいので、続きを楽しみにするとして、 今日はその記事を読んで思い出した、同じくtokyocatさんの昨年の記事について考え…
日々インプットを続けていれば、そりゃ当たり外れもあるし、私の主観なんだからそういうもんだ、と思うけど、好きも嫌いも思わずに読み終えることが続くと、ちょっと心配になったりもする。あれ、わたしなにも感じなくなっちゃったのかな、とか。 だから、そ…
僕は基本的に科学を信用していて、神とか霊魂とかはある種のファンタジーだと思ってます。 しかし信者の人というのは、神や霊魂の実在を信じているのですよね(ここがもう違うのかな?)。宗教によって違いはあるでしょうけど、だいたいは 人格的な神:人々…
昨日「怒る」ということについてぼんやり考えていたのは、友達の女の子が「元彼の働いてる店に遊びに行ったら、そのことを元彼と共通の知人に怒られた」と話していたのがきっかけだった。 これまで話を聞いている限りでも、その知人の人はすこしふしぎなので…
理屈で考えていけば、1個のチョコレートバーは永遠になくならないっていえるんだ。 そのために守るべきことはただひとつ/そのチョコレートをいっぺんに/食べてしまわないこと。 まず半分食べる。/残りの半分はとっておく。 次のときは一口かじって/残っ…
「焚書官の日常」さんのこちらの記事(http://d.hatena.ne.jp/./mutronix/20061221/p4)で知った動画を見ました。菊池誠さんが「まん延するニセ科学」というテーマで話をされているもの@NHK。 たんたんと、ゲーム脳や水のなんとかがニセ科学である、つまり科…
まずはじめに、それはいわゆる「悲観的」とされるような意味あいではありません。 生き始めて、生き終わる、ということを1日の流れに例えるなら、この1日はすでに暮れ始めている、というだけのことです。ついでに言えば季節によって日照時間の異なるように…
トーハンの年間ベスト*1を見たら、一冊も読んでなかった私ですが、中でも「国家の品格」という本が、トーハン集計で1位になるほどまでに売れてる、というのには驚いた。勉強不足。 ただ、この「国家の品格」というタイトルは、どういう意味なんだろうっての…
高校の終わり頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。(略)僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。「風の歌を聴け」/村上春樹 外側から定義される物語に、捕われまいと抵抗しているうちに…
最近本棚の整理をしていたら、確かに読んだのに、結末を思い出せない本がけっこうあるなと思った。そういえば映画もだ。漫画は、そうでもない気がするけど、それはたぶん何度も読み返す漫画がほとんどだからで(手軽さのおかげもある)、一度しか読んでない…
私にとっての幸福は、満ち足りる状態の、一歩手前にあるような気がする。もしくは、幸せだということに気付かない状態。 食事の準備が楽しい、食事中も楽しい、食べ終わってからもまだ楽しい気分は続いている、が、数時間もたてば忘れたり、もの足りなくなっ…
映画『トゥモロー・ワールド』は、私の見聞きする中でもとても評判が良くて、その感想に共感するところも確かにある。曖昧な感想*1を書いたまま、でもなぁ、って、ずっともやもやしてた部分について、マトモ亭さんの感想がとてもうまく言い表してくれてた。 …
作品を作る人の中にも、いろんな人がいる。 自分と作品が一体になっている人、その人にしか見えないものを掘り出していくような人。感覚的/意識的という言葉のイメージに少し近い。さらに、そのスタンスとして、足りないものを埋めようとするやり方、不要な…