「ひなた」/吉田修一

ひなた

ひなた

雑誌「JJ」に連載されていた作品だ、と聞いてちょっと構えていたのだけど、読みはじめたらするすると読めてしまった。
物語は、二組の男女それぞれの視点から描かれる春夏秋冬、という構成になっている。ただ、二組とはいっても、兄とその妻、弟とその彼女、というカップルなので、中心となる家族(そしてやがて形成される擬似家族)を描いた小説のようにも読めるのだけど、どうもこう、ぽっかりと空いている部分を感じる小説だった。
そういえば、最初の頃の吉田修一さんの文章といえば、一人称に近い三人称で、主人公が何を考えているのか、それがきちんと書かれていることが多かった気がするのだけれど、この「ひなた」での文章は、一人称なのにもかかわらず、主人公の感情はどこかべつの場所にあるような、空虚さがある。自分が何を感じているのか、それさえよくわからない、ということなのかなとも思う。しかしだからといって、第三者の視点から描かれて浮き彫りにされる何かがあるというわけでもないように思う。
それから、文章の面で気付いたことといえば、以前の作品に比べて、格段に会話文が増えたように感じた。そして、その会話も、一文取り出してみるとどれが誰だかよくわからない。そのくらい、主人公たちの印象が薄いというのは、少し読みづらい。特に女性二人が「働いている」ということについて、もちろん取材した上で書いているのだろうとは思うけれど、これがちっともリアルに感じられなかった。
彼等は皆、自分の人生にさして興味もなく、漂っているような、そんな印象を受ける小説だった。そしてするすると読み終えてしまった。
前に私は、吉田修一さんの作品について、作者の匂いのようなものがなく乾いた感じがするところが好きだ、と書いたことがあったけれど、その頃感じていた底辺の力強さのようなものがこの「ひなた」には感じられなかった。
この空虚さは「あえて」なのだろうか。だとしたら、少し寂しい。
今から思うと「ランドマーク」までと、それ以降で作風がかわったような気がする。(「長崎乱楽坂」のみ未読だけど)
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「熱帯魚」の感想(id:ichinics:20051125:p2)
「7月24日通り」の感想(id:ichinics:20050218p1)

 いわなければよかったのに

今日は久々の友達と飲み会をしてきた。もつ鍋を美味しく食べていたのなんて束の間で、つい誘われるままに終電を逃し、つい聞かれるままに、近頃考えていたことなど話してしまって、すごく後悔している。
頭の中にあったはずのものが、口に出して、相手に聞こえた途端にまったく別のものになってしまっていることに気付く、ということはやっぱりあって、そうなるともう取り返しがつかない。それを話してしまったという事実は消せないし、かといってこの先、この問題に起こる顛末を逐一伝える訳にもいかないから(そしてそれもまた口にした途端別のものになってしまう可能性があるから)、現時点の私の言葉で、それは定着してしまうのだ。そう考えると、やっぱり後悔してしまう。
別にそれは、些細な話に聞こえたかもしれない。でもそれを、私はもうちょっと自分の中で考えていたかった。そうするべきだった。そしてこれを取り出して見せる相手をたぶん間違えた。
すごく楽しいはずなのに、私だけがその後悔のあたりをうろうろしていて、何とも歯切れの悪い夜になってしまった。反省。