いつもの感じ

風邪気味ではあったけど、医者にもらった薬とルルゴールドダブルで飲んだりしてなんとか復調。深夜0時くらいに合流して、無事飲みに行けた。
久しぶり(でもないのだけど)の友達と会うと、会ってなかった時間を埋めるまでの、ちょっとしたぎこちなさ、歯車があうまでの行きつ戻りつ、みたいなものを経て「いつもの感じ」にたどり着くような気がする。そういう瞬間てのが気まずい、とは思わないのだけど、時折、これがいつか、行っても戻ってもカチリと合うところ、合うように感じるところ、が無くなってしまうのだろうかなんて、考えてしまうと少し不安になるし、ああ見つけた、と思ったときには安心する。
なんて考えながら、ちょっと大げさにすぎるかな、なんて思うのと、単純に話をしていて、返事が返ってくるということをうれしいと思うのは同時だったりもして、そうすると、この時間が過ぎて日にちが経って、いつかまた、あの行きつ戻りつを繰り返すのだろうということが、とてもこわいことのようにも思う。
だいじょうぶだ、と思うし、だいじょうぶにする、ということは決めている。いつもは「ここ」から先のことなんて何も確定していないと考えたい私だって、たまにはそんな乱暴なことを思う。
なんて、ずいぶん感傷的だけど、
今日会った友達が、この日記を探してるんだけど見つからない、と言っていて(日記を書いてることは言ってた)、別にその人に見られて困るようなものは無いんだけど、見つかったら気まずいかもなぁとも思うし、書けなくなることもあるかもしれない。そう思うのは、ここで考えていることが、「いま」の私の全部だと思われたくないからなんだろう。
対面して話しているときは、誤解されたくないと思って注意深くなる部分がどうしてもつきまとうのだけど、ここで文章を書いたりする際にはわりと油断しているので、誤解される可能性も大いにある。でもまぁそれもいいか、と思える反面、その人は、ここで書くようなことを口に出して話出来る数少ない相手だったので、出来ればそれは会った時にしたい。それはなんでだろ、と思ったら、やっぱりその人と会話をしたいからなんだと思った。
そしてそれが大事なので、その行きつ戻りつ、みたいなのをまた繰り返すことがこわくても、だいじょうぶだと決めたんだし、だから、だいじょうぶ? とか聞かれても、だいじょうぶに決まってるじゃんか、と答えるんだよ。じゃなかったら困るもの。
着地点見失いっぱなしなので、たまには目測で飛び下りるぜ、なんて頼りない感じですけど、やってみれば以外と平気なんだよたぶん。