嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦

クレヨンしんちゃん」劇場版第10弾。
「オトナ帝国」と「ヤキニクロード」が面白かったし、新作も見ようかなぁ、なんて思ってたとこだったのでとりあえずこれを借りてきて見たのですけど、これがまたすごい傑作だった。「オトナ帝国」と同じく原恵一監督作品です。
戦国時代にタイムスリップするお話なのだけど、まずはその丁寧な時代描写に驚かされた。子供が鵜呑みにしても大丈夫なくらいのリアリティで描いているのだろうなと思う。戦いの作法とかも、今見るとつっこみどころが多くて面白い。そして脚本も凝っている。SF映画としてもよくできてるし、時代劇としても面白いし、ほんとすごいなぁ、としかいいようがないです(アホな感想で申し訳ないです)。
クレヨンしんちゃん」にしては、ちょっと笑いどころが少ないかなぁって気もしてたけど、クライマックスで突然、お腹痛くなるくらい笑って泣けて「おー」と唸らされてという怒濤の展開があり、結局大満足でした。
それからDVDの特典映像についてた予告とか特報とかが、本編にはない、それ用に描かれた映像が満載で、これまたとてもよく出来ている。特に特報は必見。
文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞受賞作品でもある。ところで文化庁って審査員誰なのだろう…。

 恐いもの見たさ

あちこちで話題の(そしてもっぱらに食べ物として不評であるところの)チョコレート効果99%に挑戦してみた。お昼ご飯を買いに行ったついでにコンビニで買って、すぐ一片食べたんだけど……想像以上というかなんというか。
あんまりな苦さのせいか、心臓がどきどきする。良薬は口に苦しとかいいますけども、あきらかにチョコレートのにおいと感触なので舌は自動的に甘さへの準備をしており、でも永遠に見つからない甘さ、だってそもそも入ってないんだもの!というギャップとあの粉っぽさがなんとも言えない切なさをかもし出していると思います。
個人的には、足りないのは砂糖というよりミルクな気がした。砂糖ゼロでもミルクが入ってれば、ある程度のまろやかさというか、ココア感になるのに、砂糖もミルクもないってことで、粉っぽく、かつ苦いというあれなかんじで、そもそもビターチョコ苦手だし(じゃあ買うな)、もう残りはホットチョコレートにして飲むことにしました。
無理、だけどまあ、青汁みたいなものとして定着したり、するのかしら。

そしてなんだかどうしても甘いチョコが食べたくなって買ってきたのが、不二家の新商品「ショコラNY」のプラチナキャッツ。猫舌ってデメルですか、とおもったけど、おいしい。ミルクチョコベースに塩が隠し味だそうですよ。同時発売でブロンドキャッツってのもあり、そちらはビター&バニラ。ビターはしばらくこりごりなのでプラチナ買いました。

 20世紀少年最終回について

ここは普段リンク元にはあんまり偏りがない日記なのですが、昨日は「20世紀少年」でアクセスしてくる方がとても多く、なんだろ、ネタばれ探してるのかな、と思って自分もいろいろ見てみたのですが。
あの最終回のあとに見開きページがあって、「2007年新春に最終章登場」と書かれていた、その下の文「(※早口言葉です三回言ってみましょう)」を、つまり「これはネタであって、ほんとは最終章なんてないよ!」という意味に解釈している方もわりと多いみたい。(参考【地球儀の螺旋/『20世紀少年』、早口言葉の謎】http://d.hatena.ne.jp/./tragedy/20060424/p4
うーん。言われてみれば確かにそうも読めるけど、昨日は全然そんなこと思わなかったなぁ。普通に定番早口言葉の「新春シャンソンショー」に似てるからかなぁと思っていた。まあ意味があるとしても、せいぜい「随分先の話で申し訳ないですね」というエクスキューズというか照れというか、そんなものだと思っていた。

かといってあの(暫定)最終回を面白かった!とは言えない。

18号の感想(id:ichinics:20060405:p2)にも書いたけど、正直かなり前から、20世紀少年は行き先に不安を滲ませていて、正直これで読者の納得いく大団円迎えられるのかなぁ、想像できない、と感じてはいた。そしてその原因は、大人になったケンヂの魅力のなさに、あるんじゃないかと、私は思っていた。
もう既刊にもエピソードあるので触れると、あの「歌」が、そもそも「どうなんだろう?」と最初に首を傾げたところだった。CD付き買ったけどね。それで先生はライブもやった*1んだけど。そうやってリアルにアウトプットしすぎたことで、ケンヂ像が曖昧になっていくような気がしてた。
もちろんこれは、いち読者の感想に過ぎないのですけど、でもやっぱり、物語の最初はケンヂにあった視点が、最終的にケンヂに戻ることを、たぶん多くの読者が期待していたと思うのです。あれだけ散らばった伏線を束ねるには、それしかないような気もした。でも、今のところの最終回まで、ケンヂは正体不明の、しかめっ面の、おじさんでしかない。内面が見えない。この大人ケンヂの人物像は、たぶんボブ・ディランを意識しているのだと思うのですが、ディランの内面が、その態度と歌にあるように、紙面に音を鳴らすには、やはりそこに「リアルの音」ではなくて、漫画としての音(もちろん音以外の物語でも良いのだけど)がなければいけないと思うのです。それをどんな風に描くのか、が、私が20世紀少年に期待していたことだった。そして、ケンヂの曲が物語の中で重要な位置を占め過ぎたせいで、そのハードルがどんどん高くなっていくような気がしてた。
個人的な勘ぐりでは、ライブやったりとか、現実の人物と重ねてしまったりとかで、ケンヂ像がつかみにくくなってしまった、というのが今のところの「20世紀少年」ではないのかなと思います。
で、クールダウンに約一年を費やそうと。その間「PLUTO」がんばるよと、そういうことだと勝手に理解しています。とりあえずいまのところは。
なので私は「最終章」に期待しています。このままで終わるなんて! 

*1:id:ichinics:20050628:p2にちらっと書いているので、ライブは約一年前かな