べきだ、は、ずるい?

ルールは守るべきだ、というのは、守らないのはずるい、ということなんだろうか。
善悪の二種類に分けると混乱することも*1、ずるい、ずるくない、で考えると、場の協調圧力(?)みたいなものがわかりやすいかもしれない。
そして時に、守らなかった理由(対価)によって、ずるくなくなることがある。例えば高価なものをただで手に入れることをずるい、という。でも、それに対価(例えば、遺産相続という理由や窃盗に対する罰や抽選などいう平等性)があることによってずるくなくなる(ような気になる)。
労働の対価としての給料とかも同じか。とすると、これって何とか主義なのかもしれないけど、ともかくその対価の基準は曖昧だけども、どちらが「より多く」払ったかとか、皆が払いたくない場合に、払った人がルールの外に出る感じとか、ずるさが多数に供給されることによってずるくなくなるとか「つりあう」ことを求める(ように感じる)のって何でなんだろう。
そして、善悪でも同じだけど、ずるい/ずるくないと「言っている」のは誰なんだろう?
そこでは常に「何か」を媒介にして向き合っている集団と自分がいる。そして自分がその当事者の場合、「何か」を見るのか集団を見るのか。集団を見る方が「抑止力」になると信じられているような気はする。でもそれはあくまでも「抑止」のためであって、その価値が自分にかえってくる問題だとしたら、「ずるい/ずるくない」は考慮に入れる必要があるんだろうか。ないんじゃないのかな。ただ、自分の自分のための価値判断が曖昧な場合は参照するのもいいと思うけど、もしかして、その逆、つまり「ずるい」ことを望んでした場合に感じる集団との違和を罪悪感と呼ぶのかもしれないって思って、それはなんか違う、ということをいいたいんだった。うまいこと言えないんだけど、これは集団のそれでなく、だから何も抑止しないということ。

*1:id:ichinics:20060605:p3

 擬態語

コックさんをしている友達がいて、と書き出したとこでコックって、と思って検索したところそれはオランダ語らしいです。そこはかとなく文明開化の香りがしますよね、というのは関係なくて、ともかく料理人をしている友達と話してると、たまにメニューの名前がネタになるのですが、私はとにかく、擬態語とくどい説明の入ったメニューが大好きで、たとえば「にしんのさくさくパイ包み−新鮮なにしんの腹に発芽玄米と空豆のリゾットを詰めました−」とか「サーモンとアボカドのしっとりテリーヌ−この季節特に脂ののった○○産のサーモンを使用し、アンチョビゼリーをのせてさわやかに−」とか、「魚介とバジルのスパゲティ−酸味のきいたバジルソースと、エビのプリっとした歯ごたえをお楽しみください」とか(メニューはフィクションです。あり得ないかもしれない)、とにかくそんな感じで、たぶんイメージしやすいのが好きってことなんだと思います。で、中でも特に好きな食感が「カリッ」と「サクッ」とおいしいだったりして(でもスコーンは私の中では「サクッ」ではない。むしろボリッとザクッと)、友達にも「あんたの好みはカリカリとかサクサクばっかり」だと言われるくらい、サクサクカリカリ最強だと思ってた。
なので、『「カリッ」とか「サクッ」としたものが嫌い』という言葉を読んでびっくりしました。味覚だけでなく食感にも!なにが!
ちなみに私は高野豆腐とかの食感がこわいんですけどあれはなんでしょうか。「ジュワ」かな。「ジュワ」と書いたとたんにおいしそうな気がしてきた。

 ひぐらしのなく頃に解「目明し編」終了

すごかった。たとえこれが完結編だったとしても私はすごかったというと思う。あんなにあちこちに鍵があったのに、わたしはまんまと引っかかったし引っかかってよかったと思う。個人的にはすっかり引っかかる方が楽しい。
目明し編」は、こわいけど切ない話だった。ひぐらしはだいたいどのシナリオも切ないけど、これをやってから今までのシナリオのことを(特に綿流し編を)思い出すと、なんかやるせない。
そして、やっぱりよくできたシナリオだなと思う。いろいろすっきりしたとこはあるけど、謎も増えた。
ちょっと恩田陸作品っぽい雰囲気があるかな、と思ったりしたけど(『麦の海に沈む果実』とか)あんまり伝わらないかもな。