昔話/フォークダンス編

昔から私は、なにかイベント事のあるときに限って、体調を崩したり怪我したりすることが多い。とくに好きな男の子関連の行事とかが近づいてくると、注意力散漫になるのか、土壇場になって、おじゃんとかそういうことがよくあった。
例えば、クラブの試合見に行くって約束したのに、風邪ひいたとか、クリスマスだかで約束してたのに、電車からおりるときに足はさんで、担架とか、誕生日に遊園地行ったら、最初の乗り物で、事故った(ゴーカートでフェンス突っ込んだ)とか。
そんでこの前、といっても二週間以上前だけど、風邪ひいて会社休んで寝てたとき、思いだしたのが小学5年生のときの、フォークダンスのことだった。
いちばん最初の島田(仮)君の話。何が最初かっていうと、私はいままでに3人の、島田(仮)君を好きになったんですけど、これは小学生の時の、最初に好きになった島田君の話で、という意味です。ちなみに好きになる人っていうのは、一見すると脈絡がないようで、どこかしら共通点があったりするのが面白いものですが、例えば、これまで付き合った人のうちなんと3人も(!)おんなじフランク・ザッパのポスター(ザッパが便器に腰掛けてるやつ)を部屋に貼ってたときは、正直のろわれてるのかなーとか思いました。
ともかく、最初の島田君の話。
小学校5年生の時、運動会でフォークダンスをやることになった。そんで、体育の授業のたびに、男女ペアを組まされ、練習を重ねていたわけです。そういうのってたいていあいうえお順なんだけど、フォークダンスは背の順だった。私も、島田君も、それぞれクラスでいちばん背が高かったから、あれ、もしかしてって期待したんだけど、そういえば男子は女子よりひとり多くて、島田君は先生と組む事になってしまったんだった。なんてことだ。なんでだー! なんなんだー! とか思いながら、私は私と組んでたノモト君(仮)、お休みしないかなーとか思ったりした。ごめん。ノモト君はいつもジャンプ回してくれるいいやつだった。私も「火の鳥」とか貸した気がする。けっこう仲良かった。でも友達だからって、お休みしないかなーなんて、思っていいわけなかった。
フォークダンスの練習があるたびに、私は横目でちらちらと、時に先生と、時にひとりで、踊る島田君を見ていた。島田君ちは大工さんで、彼も親譲りなのか、手先が器用だった。図工のときに、ていうか図工の先生も島田先生だったんですけど、島田君が釘打つの見て、あ、かっこいいなーとか、思ったのが、好きになったきっかけだった。釘たてて、ト、トントン、トンで吸い込まれてく感じに、おおーって思って、真似してみたけどうまくいかなかった。その、島田君の手を見てた。顔を見るのは、ちょっと恥ずかしかった。
そして、運動会本番の数日前から、他のクラスとの合同練習がはじまった。そこではじめて、他のクラスとの人数調整(及び身長調整)で、私は自分が島田君と組めるんだってことが、わかったのだった。わかったとたんに、なんかもー照れくさくって、自分が見てる分には無遠慮なくせに、こういざ面と向かうと目すらあわないっていうか、でも照れてるってばれたらどうしよーとか、思ったりして。走って家帰って。
次の朝、目が覚めたら、熱が40℃こえてた。インフルエンザだったのか知恵熱なのか、よく覚えてないけど、とにかくそれからしばらく学校休むはめになってしまった。
運動会当日も、私は居間のソファに寝かされていた。寝ている頭の、左ナナメ上くらいから、運動会の音「天国と地獄」とかパーンッていうスタート音とか、歓声とか聞こえてくる。そしたら、なんだかすごい泣けてきて、
これはきっと罰があたったんだと思った。
そういう話です。後から聞いたところによると、島田君はノモト君と、踊ったそうです。どっとはらい