コピーロボットとの会話

今日は朝から考え事してた。たとえば、自分のコピーロボットがいたらいいなあとかそういうこと。かわりに仕事いってほしいとか、そういうんじゃなくて(ま、それも魅力的ですけど)単に話し相手として、コピーロボットがいたら、いいだろうなぁとか考えていた。
野暮ながら説明しておくと、コピーロボットとは藤子不二雄パーマン」にでてくるロボットのことで、主人公たちはパーマンに変身する際、自分の身代わりとしてコピーロボットに日常生活を続けさせるのだった。容姿、性格、能力全て本人と同じで、記憶も、おでこをくっつけあうことで共有できる。「使用後」は鼻を押すと、ロボットに戻ってしまう。ちょっと話がずれるけど、私はこの設定が、幼い頃からすごく不思議だった。おたがいに同じ意識を持って動いているならば、どっちが自分かわからなくなるんじゃないかな、なんて。その辺はまた今度。
ともかく、コピーロボットがいたらいいなあ、と思う理由は、最後のその記憶の共有にある。
聞いた事見た事読んだ事っていうのは「関わる」ことだから、その一瞬のことではなくて、その印象の濃さによっては、その後なんども思いだされる(可能性がある)ことだ。
だからこそ、それが好ましい記憶であるならすてきなのだけど、逆に、言わなくてもいいことや、思ってもいないようなことを勢いで口に出し、思いもよらずに浮いてしまった言葉が、ずうっと影のように視界を塞ぐ事もある。それでも、と思う事はあるけれど、その影によって、いま目の前にあることをちゃんと見れなく/見せられなくなってしまうのであれば本末転倒だ。
なーんて、そんな言い方をするとえらそうだけども、詮無いことだとわかっているのなら、いま目の前のものが見えるなら、それでいいじゃないか、いいじゃないの、だいじょうぶ、とあきらめか開き直りか、わかんないけど、そこはぶれたくないと思う…って、まーなかなかそうもいかないんですけど、
それでも、なーって部分、飲み込みきれないもやもやしたものに、踏み込んでみたいときもあって、そういう時、コピーロボットが相手なら誤解を恐れる必要はないよね。とか。ああ傷つけちゃったかなとか、気にしてるかなとか、痛いとこつかれたとか凹んだとかも、ぜんぶ最後、おでこをくっつけてひとつにできたなら、わりと整理されるのではないかなと思う。自分がなにを考えてるのかとか、足元みたいな部分を、確認するのはそのようなことじゃないかな、なんて。
そして、そのうえでなお、出したいと思う言葉が、届いてほしいと思う。その切実さは何なんだろうか、とか。