西友トランポリン

幼い頃、母さんにつれられて行ったM町の西友は、普段行く近所のスーパーとは全然違っていて、イートインの食堂や、屋上遊園、ペットショップには金魚売り場まで備えてある、なんて今では特にめずらしくもない、むしろ懐かしささえ感じる「一昔前」の光景かもしれないけれど、当時の私にとっては色に溢れた、まるで遊園地のような場所だった。
ある夏の日だった。あれが欲しいとかこれが欲しいとかは、あまりいわないくせに、欲しいものの前に座り込むだの、うらめしそうに見るだの、なんというかかわいくない子どもだったらしい私は、手を引かれながらも、店内のあちこちに釣られていて、おもちゃだの、バービー人形だの、ソフトクリームだのに向かっていっては、はぐれて母さんに探されていた。
そして、ついに業を煮やしたのか、その日の母さんは私を屋上につれて行き、いつもは屋上に行ってもそこで遊ばせてくれることなんてなかったのに、ここでしばらく遊んでなさいと、ここで見てるからねと言って、ベンチに腰掛けたのは確か生まれたばかりの弟をおんぶしていて、きっと休憩したかったのだろうと、いまになれば思うのだけど、
ともかく私は一目散に、あのトランポリンへかけてった。ずっと入ってみたいと思っていた、屋上の、ビニールでできたトランポリンの内部は、ムッとするような暑さで、足が滑ってうまくたてない。その不自由さに、可笑しさがこみあげてきて、ケタケタと笑いながら、じょじょに飛ぶことを覚える、あの感じ。可笑しくてうれしくて、ちょっと吐きそうなくらいの興奮を、気が遠くなるまで味わい、オレンジのビニール越しに感じる夏の日差しを、天地ひっくり返りながら眺めて、
気持ちが悪くなった。
そんでトランポリンから這い出て、母さんを探したらいなかったときの、あの全身がひやーとするような絶望感は、今でも時折夢にみる、というか思い返せば、幼い頃のトラウマなんてだいたいそんな感じなのだけど、ともかく私は大声で泣きわめき、警備員さんに保護され、館内放送の事務室みたいなとこへつれていかれたのだった。
泣いているときは夢中でも、知らない人に囲まれると冷静になったりするのは小心者だからなのか、おなまえはー? とか、どこからきたのー? などと質問をされているうちに、ああ大変なことをしてしまったと、急に焦りはじめた。こんな騒ぎを起こしたら、母さんにおこられる。そう思った私は、事務室を抜け出し、運良くちょうど事務室へ向かっていた母さんと出くわして、安心し、小言を言われつつも手を引かれてかえったような気がするんだけど、
あの警備員さんや事務室の人たちにはちゃんとお礼を言ったのだろうかとか、もしかして今も私は呼びだしリストから消されないまま、「東京都○区からお越しの○○様、お子さんが迷子になっております」と、定期的に呼び出されているのじゃないかとか、そんなことを、偶然出くわしたお祭りに出ていたトランポリンを見ながら、思いだしていた。

ワン、

ツー!
そういえばあれからずいぶん後、高校生のときくらいに、M町の西友の屋上へ行ってみたことがあった。そこはもうがらんとした、食べ物の屋台とベンチがあるだけの屋上広場になっていて、
ソフトクリームをなめながら私は、友人のYちゃんに、トランポリンの話をしようか迷って、やめた。たぶん高校生の頃には、ほかにもっと話すべき話題が、それは誰かの恋の話やうわさ話や悩み事とかなのだけど、あって、思い出話の出る幕なんてほとんどなかったように思う。だけど、今の私はこうやって、記憶を探り続けるのが、案外楽しかったりする。