「きのう何食べた?」第1巻/よしながふみ

きのう何食べた?(1) (モーニング KC)

きのう何食べた?(1) (モーニング KC)

日常漫画のよーな料理漫画(例:クッキングパパ)をよしながふみ風にといった感じの作品で、しいていえば「愛がなくても〜」に近い雰囲気だった。
主人公は弁護士の筧史朗。彼は、恋人の美容師、矢吹賢二と二人暮しをしていて、節制した生活のなかで、うまい料理をつくることにこだわっている。その料理場面が物語のメインになっていて、読んでいると、つい作ってみたくなるというか、頭のなかでシミュレーションするのが楽しい漫画なのだけど、伏流がほぼゲイとしての世界観みたいなもので埋め尽くされているのには、なんだかちょっと違和感があった。
それをいっちゃあおしまい、なのかもしれないけれど、主人公が感じている、社会とのずれみたいなものとか、覚悟みたいなものを、そこをメインに描く物語としてではなく、このような日常雑記の中に織りまぜられると、作者の描きたいことが何なのかわかんなくなる。というか、これってたぶん作者にとっての切実ではないよな…、とか、思ってしまったりした。少なくとも「愛すべき娘たち」で描かれた葛藤には、作者にとっての切実さみたいなものを感じたんだけど。
きっとこの連載のメインテーマは、1巻の最後にでてくる、「料理作ってるときって無心になれる」ということなんだと思います。でもそこに、主人公がゲイのカップルであるという設定をもってきたのは、なんでなんだとか、考えるのはうがった見方なのかなあ。んー。
続刊でその辺すっきりするといいな。

 昼寝

昼休みには、だいたい毎日喫茶店へ行くのだけど、喫茶店にいるいつもの人々はだいたい、うたた寝をたしなまれていて、わたしは、あの人たち休憩時間内にちゃんと起きれるのかなーとか不安に思いながらも、コーヒー飲みつつ、本読んでるふりしつつ、それらうたた寝の人たちの顔をまじまじと見つめていたりする(ぶしつけで申し訳ありません)。
たぶん、わたしは眠っている人の顔がとても好きなんだと思います。眠っているときの顔というのは、決してからっぽではなく、でもちょっと浮かんでるような沈んでくような感じで、それを見ているこちら側まで宙に浮くような、あれはもしかしたら私の眠気なのかもしれませんが、つま先がはねたりとか、まぶたがけいれんしたりとか、腕組みしてる肩に力が入ったり、抜けたりとかの、その糸の先を自分が握っているような気分になって手に汗かきつつ、すぅー、とまた眠りに戻っていく瞬間の、あの深さはとても心地よい、あたたかな西日のようで、つられてそっと手を開く。そして、できることなら全ての人の眠りが、何の不安もない、やさしくそっとしたものであればいいのにと思いながら、私にもそれひとつ、と、目を閉じる瞬間、凧が飛んでいくのを見る。