「アイの物語」/山本弘

山本弘さんの小説を読んでみたいなと思っていたとこに、タイトルに聞き覚えのあったこの文庫版を見かけて買いました。面白かったです。

アイの物語 (角川文庫)

アイの物語 (角川文庫)

物語の舞台は、人間とマシンが対立している世界。主人公はアイビスと名乗るアンドロイドに出会い、「物語」を聞くことになる。主人公は、マシンであるアイビスを警戒しているのだけど、ひとつひとつの物語の後に挟まれる会話から、主人公の視点が、物語を吸収することで、少しずつ上がっていくのがうかがえる。
アイビスの語る物語はどれも人工知能をテーマにしたものだ。そして、6つの物語が語られた後に、アイビス自身の物語が語られる。つまり、6つの物語は、物語るための丁寧な下地になっている。

「作者をキャラクターと同一視してはいけないわ。それはまったく別のものよ。むしろキャラクターと同一視すべきなのは読者よ」
「読者?」
「そう。物語を読んだり聞いたりする行為は、一種のロールプレイよ。読者はキャラクターと同じ体験をする(略)」/p115

この本を読むこともまた、主人公と同じように、アイビスの物語を聞くロールプレイになのだと思う。
アイビスの物語とは、どうすれば「レイヤー0」、ヒトのいうところの現実世界を幸福な場所にできるか、という挑戦だ。主人公と同じように、どこかで警戒しながら読み進めていた私も、冒頭のいくつかの物語は「説明」みたいだなあと思いつつ、最後には素直に、確かに物語っていうのは面白いものだなと思っていた。
特に印象的だったのは、アイビス自身の物語の中に登場する、TAI(自分で考えて行動する真のAI、と解説されていた)同士の会話で、新しく覚えた感覚に名前をつける場面。例えば「Yグレード」という文字の意味がわからなくても、そう名づけられた瞬間のことを知っているだけで、言葉に背景が生まれる。
感覚を他者に伝えるために言葉が生まれ、物語になっていく過程にぐっときて、改めて、この物語を誰かにすすめてみたいなーと思ったりした。

ところで

私が「SF小説」というジャンルにくくられてる小説を読み始めたのはわりと最近のことなのだけど、読み進めるほどに、それまでイメージしていたものは、「SF」の一部でしかなかったのだなと思う。
私が読んでいる作品が少し偏っているというのもあるとは思うけれど、むしろある設定・仮説を用意して描かれる思考実験のような物語がSFには多いんじゃないだろうか、と思っていて、その意味でこの「アイの物語」は、SF小説だったんじゃないかと思います。うまく言えなくてもどかしいけれど、ある結論を提示するのではなく、読み終えたとき、何か考えることが残るような物語が好きだなと思った。

 週末の夢

朝はとてもいい天気だった。カーテン越しの光を眺めながら、天気がいいと、なんだかせかされてるような気がするっていう話をしていたときのこと思い出す。そうかもなと思う。洗濯日和だし外出日和だし、とか思いながら、もう一度布団にもぐりこむ。
たまに、すごくいい夢を見ると目が覚めるのが残念だと思うことがあるけれど、もしも思い通りの夢を見れるようになったらどうだろう。眠ってばかりいるようになるだろうか。でも、どんな夢を見たいのかは、起きているときに考えることのような気もする。ただ、夢の中でした約束がそれきりになってしまうのは起きてる今も残念なのだった。

駅前で工事をしている人たちのニッカポッカ、あれって歩きにくくはないのだろうか、とか思いながら通り過ぎる。銭湯の前の猫以来、まっすぐな帰り道では誰にもすれ違わない。木にシャツがぶら下がっているのを写真にとる。特に意味はない。
いい天気だとか楽しいとか、困ったとか悲しいとか、嬉しいとか私は、私がどのように世界を見たかを報告したい、と(額面どおりに)ずっと思っているけれど、それにも別に意味はない。けど、どっかで意味が生まれてたらいいなとも思う。それも期待なのかな、とか思いつつ、とりあえず包んで置いておく。
朝届いた荷物は、こないだ教えてもらった曲がすごく好きになって買ったCD。聞いたら1曲めから夢みたいだった。