「15×24」1〜6巻/新城カズマ

面白いらしいという噂を目にして気になったので1巻買って読んで、これは、と思い12月末に出た最終巻までほぼ一気に読みました。
物語全体の印象としては3、4巻のあたりが一番面白かったような気もするのだけど、それでも最後まで読みたいと思った理由は、ここで描かれているテーマが個人的にも興味にあることだったから。
物語は、徳永準という男の子からの「自殺予告メール」が手違いで送信されてしまうところからはじまる。そして、その予告メールを見た数人が、それぞれの思惑でそれを止めようと動き出し、最終的に15人の、24時間の行動が交互に描かれることで物語が進む。
15人も主人公がいたら話が混乱しそうだけど、言葉づかいだけでかなりキャラクターがくっきりと描き分けられており、読んでいて違和感はない。全巻に登場人物一覧があったらよりいいなーと思ったけれど、不思議なほど、名前と顔は一致していて、苦にはならなかった。
個人的に一番興味をひかれたのは、15人のそれぞれの意見がきちんと描かれているところ。「意味がないのはつらい」という徳永をはじめとして、誰にも切実があって、誰もそれを笑えない。そして、そのどれも結論にはしない、という描き方は好きだなと思った。
退屈な場面もなかったわけじゃないし、一番大事な伏線はちょっと弱いかなとも思った。それでも、物語には勢いがあったし、いろんな登場人物の意見を読むうちに、自分の中でも考え事ができるところが、とても面白い読書だったと思う。
こういう話を人と面と向かって話すのは、とても難しい。それはたぶん、私の傲慢さを目の当たりにすることになるからだと思うのだけど、そういうときに物語というのは、考える場を借してくれるものでもあるんだと思った。

 年末日記

年末休み最初の夜は、友だちとごはん。最近気に入っている飲み屋でお酒を飲んで、そのはす向かいにある喫茶店でコーヒーを飲んだ。
喫茶店に移ってすぐ、店内にはいってきたおばさんが、このケーキ丸ごとだといくら、ちょっと高いわね、じゃあはんぶんで、ケーキ買いそびれちゃってね、大急ぎなの、と、生クリームの載ったシフォンケーキをまとめ買いして行った。そうだ今日、クリスマスだもんね、と私たちもひとつケーキを注文し、半分づつ食べることにした。大島弓子のマンガに出てきそうな細長い男の子が、やさしくもつめたくもない顔で、ケーキを取り出しているのが、いいなと思った。
この日は、最近読んでいる本の話から、今考えていることについてなど、話をしてみて気づく事がたくさんあって、なんだかとても楽しかった。特に、ナイロビの蜂の話と、砂漠の話。

ところで、自分が今まで使っていた「身体的」という言葉って、私の思っている意味とは違ったのかもなと考えたりする。そこで自分が言いたかったのは、主体であることに、切実さをともなうなにか、のようなことだったのだけど、身体的という言葉にはたぶんそんなニュアンスはない。ただ私がそれを言うときに思い浮かべる言葉がそれ以外に思いつかなくて、って、一語一語の意味を考えはじめるとキリがないのだけど、そういうあやふやなものでやりとりができるのってもしかしたらぜんぶ錯覚かもしれなくてすごい。だからこそ、身体という言葉を使いたくなるというか、いまあるこの感じのことだ、としか言いようが無いものは特別だと思う。

それから、年末には祖父のお見舞いへも行った。握手をすると、触ったらダメだと言われて、あわてて手を引いた。そうかここは病院なんだよな…と反省したけれど、でもあの一瞬の手は、しわだらけなのに、すべすべでもちもちとしていて、よかった。前に会った時に言われたことについて、ここのところよく考えていたので、もう1回言ってくれないかなーなんて思っていたけど甘かった。
地元の産地直売所で買い物をした後、駅前で降ろしてもらって、妹とカールじいさんを見に行く。混雑したウェンディーズを横目に、いつものヴェローチェでお茶飲んで映画見て帰った。

大晦日、おせちの準備で雑然としている台所で、朝から弟がジャム作りをはじめる。できたてのジャムをパンに塗って食べた後は、満足したようでそのまま放置。次はパンを焼きたいとか言い出し、オーブンが壊れているので無理だよというとトースターで焼くと言う。トースターでパンを焼くのとパンを焼くのは違うんじゃないかな…と言うと、でも何かやりたい、じゃあ干物でも作れば、という流れで釣りに行きたいと言い出し、いつの間にかいなくなって、帰ってきたら寿司食ってきたというのでいろいろすごいと思った。

そんな具合の暮れでした。