残業中、友人から突然「今日占い行かない?」との誘いがきた。
私はあまり占いは好きではないんだけど、仕事にもキリがつくところだったし、給料日だし、その友達も久しぶりだし、ご飯を食べながら、おまけみたいな感じで占いがついてくるのだというから、行ってみることにした。
ご飯は中近東料理ということで、期待していたのだけれど、苦手なピーマンが山盛りで萎えてしまう。しかしその友達とは久しぶりだったから、互いの近況を話あっているうちに、あっと言う間に時間は過ぎた。
そして肝心の(?)占いタイム。占い師は外国の方である。
とても感じの良い人でだったのだけど、やっぱり私は占いに向いていないみたいだ。
「あなた一人でいるの好きでショ。でもそれダメよ」
という忠告にもなんか苦笑してしまう。
だって知らない人だしね。
というかそもそも聞きたいこともなく、占いに行くと言うのが間違っているんだろう。
もちろん、私にだって悩み事はある。見ず知らずの人だからこそ、話せることっていうのもあると思う。
ただ、私は私の悩み事を「当てて欲しい」とは思っていないだけなのだ。
友達は彼氏について「何か障害がある」と言われたことをとても気にしていた。そしてそのまま彼氏の家に帰っていった。
そんな友達を見ながら、だいじょうぶだよーと思う。
皆そうやっていろんなこと考えながら、いつのまにか解決してたりするんだろうな。そしてその解決の糸口としては占いも役立つのかもね、と思う。
すべて世は事も無し、と言う言葉が浮かんだので出典を引用してみます。
時は春、日は朝、朝は七時、片岡に露みちて、揚雲雀なのりいで、
- 作者: 上田敏
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蝸牛枝に這い、神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し
ロバート・ブラウニング著
「海潮音」より「春の朝」 上田敏訳