猫について

うちには、齢18になった猫が居る。人間でいえば、相当なおばあちゃんだ。
今日久しぶりに「ノラや」を読み返そうと思って手に取り、ふと思いだして武田百合子「日日雑記」のページを繰った。
飼い猫の玉が亡くなる少し前の記述。
朝、起き抜けに用を足していると必ず寄ってきて挨拶をする玉が「どーしてなんだろーねー」といいつつ、起き上がれずにいる。
その描写が、酷く悲しくて、私はあわてて我が飼い猫を探しだしその安否を確認してしまった。うちの猫は相変わらずふてぶてしい顔で「なんかくれんの? ならうごいてもいいよ、」と流し目をよこすのみだ。
はあまあ元気ならいいんですよ、といって私は部屋に戻り、もう少し先まで読み返す。そうだった、こんなふうだった。
武田百合子が描写する猫は、なんだか大島弓子の「綿の国星」を思わせる。サバではなくて、綿の国星にでてくるチビ猫の話し方に似ている気がする。
きっと自分の猫が大好きな人は皆それぞれ、自分なりの翻訳言語をもっていたりするんだろうな。端からみれば滑稽でも、その光景はとてもいとおしい。
大島弓子武田百合子、内田百聞の3人の猫に対する態度が私はとても好きである。そして親バカなことに、彼等の作品を涙しつつ読みながら、いつも考えてしまうのは自分の猫のことだ。その度にもっとかわいがっておかなきゃ、と思うのだが、実際顔を踏まれて目が覚めたりすると、大人げなく文句を垂れている自分が居る。