手の届かない範囲のことを話すとくらくらする

昨夜は久々に朝まで飲む。一緒だった友人はかつての同僚で今でもとても仲良くしてるんだけど、彼と飲む時はだいたい、仕事の関係上遅くから飲みはじめて朝までということが多くて、最近の新譜についてや読んだ本、仕事のことと混じって、やっぱり話題に上るのは最近の事件とかそういう話についてだったりする。よくわからないことでも、こういう話につきあってくれる相手はほとんどいないので楽しい。
以下、酔っぱらっててうろ覚えでまとまってないけど話したことメモ。

悪循環について。
たとえば環境に対して悪影響を及ぼす物質がある。でもそれを使い続けるのはコストがかからないからだったりする。もしも使うのを止めてコストがかかる仕組みになったら、例えば作っているものの定価をあげざるをえなくなり、顧客は減るだろう。だからやめない。でもそれを使い続けて資源がなくなって、じゃあその資源を人工的に作り出せるようにしようとして、でもその作り出す過程に必要な何かもいつかはなくなってしまうかもしれない。そしたらどうなっちゃうんだろうか。
それは、ちょっと違うかもしれないけど、利益を国民全体で分け合うという主義が本当に純粋な意味で実現された国があったとして、それは理想的なことかもしれないけど、確実に競争が生まれなくなるだろうし、やがてだれもがんばらなくなるだろうという悪循環に似ている。
すべての人が満足するような世界ってないだろうから、そしたら場面場面で対応を変えていくしかないような気がする。例えば小学校とかのクラスくらいの単位で考えたら、考えるのが得意なやつと実行するのが得意な人がいて、そういう人となりが見えた上で代表とか決められるだろう(実際は適当だったりするかもしれないけど)。でも今、日本でだって、その政治家の人となりなんて全然わからない。だからちょっと単位を小さくしてそれぞれの得意分野で1つの会社みたいにしていけば良いじゃない。と思ったけどそれは要するにアメリカの州とかと同じことだと言われて、よく考えたら小さくすればするほど、地域的な格差はひろがっていくだろうという悪循環も待ち構えてた。
何か事件についての報道があって、そのニュースを見た人が100人いたとする。で、そのニュースが少し間違ってました、というニュースが報道されてそのニュースを見る人はたぶん初めの100のうち30くらいなんじゃないか、ということが凄くこわいなと思うんだけど、それは瞬間的な場でしか見ることができないテレビとか雑誌とか新聞とかのメディアでしか露出してないからなんじゃないかと思うから政治家とかはネット上で日記とか書いて誰にでも読めるようにしとけば個人対個人に近い感覚でいいのになという話を確か前回会った時もしたけどまたした。
違う国で異なる習慣、宗教の中で生きてきた人とわかり合えるかということについても、国単位になるとそれはとても難しいけど、個人対個人ならその可能性は充分あるかもしれない。だから戦国時代みたいに、国のリーダー同士が名乗り合って面と向かってやりあえば理解し合える可能性もあるんじゃんとふと思う。それはもちろん無理だろうけど、でもイメージとしてはそういうことなんだよね。解決してくれそうな人って誰かな。
いろんなことに矛盾があるけど、全て解決されるってことはないだろうし、その方が良いとも思う。闇のままで残しといた方が良い部分ってのもきっとある。