おこるおこられる

ちょっと前、渋谷の駅でおじさんにぶつかって怒られたことがあった。状況的に、完全に私の視界の外から歩いてきた方だったので、「前見て歩けよコルァ」みたいな罵声をあびせられ、むしろびっくりしたのは私です、とちょっとむっとしたりした。そんで冷静になるために、なぜ彼は怒るのかについて考えてみようと思った。
まず、人間平等ということで考えてみる。つまりあのおじさんが「ぶつかられて怒った」のはすなわち「ぶつかったら怒られる覚悟があるぜ」という事なんじゃないか、ということ。
それだと確かにフェアだけど、でも、普通に考えて、それはないだろうという気がした。あそこで怒れる人は、怒られたらきっと怒り返すだろう。
東京砂漠(というか都心部)ではだいたい人にぶつかったって何事もなかったかのように歩き続ける人がほとんどで、私もたいていがその1人なんだけど、たまに「あ、すみません」みたいな感じで会釈したりされたりしあったりすることもあって、そんなときはちょっぴりいい気持ちになったりもする。でも、それをさっきの平等方式にあてはめると、そういう時には「あやまったら、あやまられるつもりでいる」ということになってしまう。やっぱりなんか違う。そこであやまれるタイプの人は、あやまられたらあやまるだろう、やっぱり。
そこでもういちど、大概が無言のすれちがいだということを考えてみると、それは多分みんな急いでて反応するのが面倒だからなんじゃないかと思う。
そう考えると、あのおじさんの発した一言は、立派な自己アピールということなのかもしれない。「おれむかついた」ということの。そう、私がおじさんに怒られてちょっとむっとしたみたいにおじさんは私に向かってむかついたのだ。で、むかついたって言いたかっただけなのだ。
ということは「おれはむかついたときにむかついたって言うかわりに、むかつかれたときに、むかつかれる覚悟はあるぜ」ということになる。それならわかる。ありうる。むかつかれる覚悟の上でむかついたぜアピールをするということは、きちんとコミュニケーションになってるような気がする。
というわけで、そんな覚悟の上の怒りなら、まあいいやという気分になれたので一件落着です。