ミリオンダラー・ベイビー

クリント・イーストウッド監督。
水曜日だし、映画見ようかということで、ふらりと見に行った。この映画についてはアカデミー賞関連の華々しいニュースで知り、何度も見た予告編の静謐なイメージからなんとなく内容の予想がつくような気がしてたので、特に見るつもりでは無かったのだけど、見て良かったです。ストーリーの概要を知っていようがいまいが、良い作品は良い作品だった。
ところで、イーストウッドさんのおぼつかない足どりがかなり気になったのだけど、あれは演技じゃなくて年をとったということなんだろうか。ことなんだろうな。

【以下、内容に言及しています。】
天才を描いた物語に好きな作品が多い、というのは上ののだめのところにも書いたけれど、この「ミリオンダラー・ベイビー」もその1つに入ると思う。
ヒラリー・スワンクの出演している映画をみるのは、たぶん「ボーイズ・ドント・クライ」以来だと思うんですが、この映画でのマギー・フィッツジェラルド役は素晴らしかった。
貧しい家庭に育ったマギーが、クリント・イーストウッド演じるフランキーにトレーナーになってほしい、と頼み込むところから映画がはじまって、はじめは拒絶するフランキーに、自らの意志の堅さを見せようとするひた向きなマギーは、まるで山からおりてきたばかりの獣みたいだ。マギーの描写の1つとして、「彼女は都会にでてきてかなりたつのに、いまだに田舎臭さの抜けていない女性だった」というようなモノローグが入るんだけど、これがとても効果的で、例えばケーキから抜き取ったロウソクを舐める仕草や、肉の食べ方などさりげない描写を際立たせていた様な気がする。ただひたすらに、ボクシングが好きでたまらないマギー。自分が信じたフランキーに対し、全面的な信頼を寄せる様も、また卵から出て来たばかりのヒヨコが初めて見たものの後を着いて行く、というような本能的なものに感じる。鬼気迫る表情のあとに、ふと見せる表情のあどけなさ、そしてフランキーに向かって、「ボクシングしかないんだ」、と言い切るシーンも心に迫った。
フランキーによって育てられて行くマギーは、やがて「モ・クシュラ」という新しい名前を与えられ、リングの上で圧倒的な力を発揮していく。
その過程で描かれるいくつもの試合のシーンは見ていて爽快だった。私はボクシングってほとんど見たことが無いので、その魅力についてはよくわからないんだけど、あのシーンを見ているだけで、なんとなく彼ら(マギーやフランキーやスクラップ)がボクシングから離れられない理由がわかるような気すらした。そして、マギーに浴びせられる声援を聞いて鳥肌がたった。
この映画で最も印象に残ったシーンは、あの最後の試合でマギーが勝ったと思った瞬間に、フランキーが見せる笑顔だ。
フランキーの、あの少し屈折したキャラクター造形も素晴らしかった。彼を見ていて、ちょっと思いだしたのがポール・オースターの「孤独の発明」という小説。話自体は似ていないんだけど、ずっと疎ましく思っていた父親の知らない部分をみて、少しづつ彼について理解していくような気分が、映画を見ている間中ずっと続いていたのだ。
素直じゃない人が、ふと漏らすこころからの笑顔の、特別な感じがあのイーストウッドさんの顔に現われていて、私はほんとにあのフランキーが好きだとおもった。
その後に物語は暗転し、結末へと一息で流れていくのですが、この暗転部分が物語の中心になっていなくて(分量的に)良かったと思った。予告編でこの暗転が予想できてしまうのは、良くない様な気がする。それでも、この後半部分が、結末の是非ではなく「彼らはそう生きた」という描写として効果的にまとまっているのは、モーガン・フリーマン演じるスクラップの視点があるからだろう。彼の視線によって、この映画は全体的に登場人物の描き方が客観的なものになっていたと思う。それも好印象だった。
ただし、この映画は演じる役者の力量にかなりの部分をゆだねているので、このキャストでなければ、物語の奥行きが生まれなかっただろうとも思う。脚本だけをとりあげてみると、エピソードはいささか型通りなものが多く、物足りなく感じてしまった可能性もあったと思う。
ラスト、「モ・クシュラ」の意味が明かされるシーンは、定石通りの展開ではあるけれど、よかった。