ボブ☆ディランの頭の中(MASKED AND ANONYMOUS)

ichinics2005-08-01

ラリー・チャールズ監督作品。そしてディラン16年ぶりの映画主演作品。脚本家のルネ・フォンテインとセルゲイ・ペトロフは、ラリー・チャールズボブ・ディランの変名とのこと。
ジャック・フェイトという投獄されていた伝説のシンガーがチャリティコンサート出演の為に釈放される、というところから物語は始まるのですが、この映画ではストーリー的な部分を追うよりも、断片的なイメージと音楽を見る(聞く)べきなんだろうなと思います。*1ジャック・フェイトという名前はあくまで便宜上のものであって、ディランはディランとして出演していたし。
途中、ペネロペ・クルス演じるカルト宗教にはまっている女の子が、「ジャックの音楽ってクールね。いろんな捉え方ができる」というような台詞を言っていたのだけど、それはこの映画に対しても言えることなんじゃないかと思う。
映画の中では社会に対抗するものとして音楽があるかのように配置されているけれど、ディランのメッセージは「音楽にはそのような力がある」ということではないと思う。受けとり手次第ということなのだろう。映画の中のディランは、あの、地面から数センチ浮いているような独特の歩き方でたんたんと歩き続けるだけで、「頭の中」なんてそう簡単に見せてはくれない。(ローリングサンダー航海日誌を読んだ時にサム・シェパードもそんなことを繰り返し書いてた気がする)
ディランの作る音楽の多くは、自己アピールではなく、社会に対して歌われるものとされているけれど、各人の受け取り方が多面的であることこそが、ディランの音楽の雄弁さなのだろうと私は思う。(そのへんは今月の「月刊プレイボーイ」の特集「ボブ・ディランとプロテスト・ソング」に詳しいと思います。*2

真実と美は、それを見るものの目に宿る。ぼくはもうずっと前に、答えを探すことをやめてしまった。

エンディングで語られるこの言葉が、現在のディランの立ち位置を象徴しているような気がしました。
この映画はいろんなアーティストがカヴァーしたディランソングが挿入歌として使われていて、中でもオープニングを飾る真心ブラザーズの「My Back Pages」には鳥肌が立つ。ディラン自身も、ライブのたびに新しい曲のように歌うことで有名だけども、1つの曲から受け取るメッセージが様々であるように、いつ、どこで、だれが、どのように歌うかということで受ける印象ってのはまた変わってくることを思うと、音楽って生物なんだなーとか思いました。
あ、ミッキー・ロークを久々に見たけど、なんか迫力があってかっこよかったです。
ちょっと気になったのがサイトとかパンフとかには『1978年の「レナルド&クララ」以来、16年ぶりの映画主演』って書いてあるんだけど、1978の16年後じゃ計算があわないので、コメンタリーの方にある、1987年の『ハーツ・オブ・ファイアー』(監督:リチャード・マーカンド)以来ってのが正しいんだと思います。(この「MASKED AND ANONYMOUS」はアメリカでは2003年公開)『ハーツ・オブ・ファイアー』は日本で公開されてないみたいなので、どんな映画だかわからないのが残念。

*1:そしてコメンタリーにもそのように書いてある。ちょっとエクスキューズっぽいけれど。

*2: 手に取ってみたらバーンとヌード写真があったので買うのをためらってしまったんですが、女子が買っても良いんでしょうか。ほしいけど。