猫のゆりかご/カート・ヴォネガット・ジュニア

タイタンの妖女」があんまりにも面白かった*1ので、次はどれを読もうかなぁ、と思って選んだのがこれ。
面白かった。タイタンを読んだときよりすらすら読めた気がします。

「猫のゆりかご」は、1人の科学者と1つの新興宗教を巡る物語で、1人の男が「世界が終末をむかえた日」と題された本を書くまでの回想のような形で描かれる。
冒頭からその存在は明らかにされているのに、主人公が「ボコノン教」というその新興宗教に出会うまでには紆余曲折があり、風変わりな登場人物達に翻弄され、なぜ「そこ」、つまり物語の書き出し部分、にたどり着くのか、という疑問がまるでミステリのようにページをめくる手を止めさせない。
そしてラストに至ったときに、そうか、これは最初から1つの世界が終末を迎えるまでの物語だったのだ、と改めて気付かされることになる。(私が忘れっぽいだけかもしれないけど)そしてその終末に在りつづける「ボコノン教」という宗教が、またとても魅力的なんだ。
序文にはこうある。

「フォーマ(無害な非真実)」を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」(p4)

とまあ、この言葉こそがボコノン教であり、この「猫のゆりかご」という本なのだろう。無害な嘘っぱちを信じること。すごく皮肉で気が利いている。つまり、「猫なんていないし、ゆりかごもないんだ」(p172)ということを知っていても、人は宗教を「発明する」。

「いったい、これには何の目的があるのですか?」と人はていねいにたずねた。
「あらゆるものに目的がなければいけないのか?」と神はきかれた。
「もちろん」と人は言った。
「では。これの目的を考えだすことをあなたにまかせよう」と神は言われた。そして行ってしまわれた。(p270)

こんなふうに。
ところで、この本の書き出しは「わたしをジョーナと呼んでいただこう」という一文から始まる。それがメルヴィル「白鯨」の書き出しのもじりだということはあとがきを読んで気付いたのだけど、ジョーナという名前が聖書にでてくる鯨の腹の中に閉じ込められ、脱出することになるあのヨナの名であるということを念頭に置いてこの本の流れを思い起こすと、この一文が物語全体を包括するものであることがわかる。すごいなぁー。ほんとうにすごい。すごくておかしくて、最高の物語だ。

映画化の噂もあるんですね。

レオナルド・ディカプリオの製作会社アッピアン・ウェイが、60年代アメリカ文学の代表作「猫のゆりかご」(カート・ボネガット著/早川文庫)の映画化を手がけることが明らかになった。
http://www.eiga.com/buzz/050712/05.shtml

メモ

物語の舞台がサン・ロレンゾにたどり着いてからずっと「マシアス・ギリの失脚」のことが頭をちらちらしてたんだけど、内容が全然思いだせないので再読しようと思う。