佐藤雅彦研究室展「課題とその解答」@ggg

ichinics2005-08-30
佐藤雅彦研究室展にいってきました。
銀座にはほんと縁がないらしく、なんどもチャンスを逃してたんですが、行けて良かった。会場は混雑していたものの、順を追って、じっくり展示を見る事ができる程度で良かったです。

「どう表現したら、人が『ある事』を理解するか、習得するか、ということに関心がある。そして表現を考える時には表現から入るのではなく、その「概念」から入り、「概念」を根源まで遡って考えていくことが、本質を理解することになり、本質を含んだ表現を生む」

要約していますが、入り口にはこのようなことが書かれていました。そして、まさにその通りの研究が行われているのだなとわかる展示だったと思います。
普段ぼんやりと生活している私には、この展示における気持ちの良い明確さと、様々なものの「本質」が解き明かされていく研究過程に、目からうろこがおちまくりでした。まるで、埃をかぶった頭の中の扉がどんどん開かれていくような、そんな感じ。
ドット画の構成やソートの仕組みなど、普段何気なく使っているものも、こんなに分かりやすく説明されたのは初めてで、しかも、私にも「わかる」ことができるということが衝撃でした。なんとなーく、知っているような気になって、その本質をみることを諦めていたようなものを、こんなに分かりやすく説明し、しかも面白いと感じさせることができるなんてすごい。そんな佐藤雅彦研究室の大切にしている考え方として提示されていた3つの単語がとても印象に残りました。

「rigid」=きちっとした、融通の利かない
「radical」=根源的な
「interest」=「わかる」ことの面白さ

それから、スリットを通して撮影した映像を積層し、「時間のずれ」を一枚の写真の中におさめる、というワークショップで制作された画像も展示されていたのですが、これもとても面白かった。開閉するドアがぐんにゃり曲がっている画像などは、ぱっと見ると不思議なんだけど、よくよく見ると、一枚の画像の中に始まりと終わりが同居しているんですよね。瞬間でなく、動く時間が静止した画の中に表現されているわけです。じゃあ、なんで時間は淀み無く流れてるんだろうなんてことをしみじみ考えてしまいました。(ちなみにこの「時間の積層」はポーランドの映像作家、リプチンスキーの「The Fourth Dimension」を参考にした、とのことでした。)
地下の会場に降りると、ワークショップで制作された映像や、ピタゴラスイッチで放送された作品などが上映されていました。面白かった。「10本アニメ」では、子どもたちがわいわい喜んでいて、私もおんなじところで笑っちゃったりして、楽しかったです。
その中のひとつにあった「フィルムの自由」というシリーズは、人と人が重なりあってすれ違ったり、破れた紙を鉛筆で描かれた矢印が修繕したりする、不思議な映像作品だったのですが、このように時間をコマに区切ってみる、というのは「デジタルとは何か」「木という構造」という展示で示されていたドット画の仕組みなどと基本的な考え方は同じなんだなと思いました。そしてそれは、概念にまで遡って考える、ということの一例なんだろうなって。
そして、そうやって考えることから逃げないで向かい合うと、もっともっと面白い世界が見えるんだ、と感じさせてくれた展示で、私も、もっとちゃんと自分の頭を使おうと思いました。
画像は、携帯写真でコマ撮りして、アニメーションを作れるよう、展示されていたものです。携帯の容量が足りなかったので一枚だけ撮って満足することにしました。かわいかったなー。