シガテラが終了して、こうなんとなくしこりのようなものが残っていたので、ヒミズを読み返してみた。
- 作者: 古谷実
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/07/13
- メディア: コミック
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その化け物の存在は、自分自身に対する容赦のない「ツッコミ」だ。自分がかわいいとか、自分がかわいそうとか、優しくされたいだけだろうとか。本来、そのようなツッコミは主人公住田にとってのアイテンティティであり、その規則を守ることによって彼のプライドは保たれている。しかし、その規則は諸刃の剣であって、プライドを守るかわりに彼の逃げ道を奪って行くものでもあるのだ。道を踏み外そうとすれば、化けものがあらわれる。ヒミズ、とはモグラの一種のことらしいのだが、つまり、光を求めて這い上がろうとしても、容赦のないツッコミに恥じ入って、また再び地中にもぐらざるをえないという暗喩なのだろうと思った。例えばその悪循環を「哀しい」と思う私に対する「それって偽善でしょう」というツッコミのように。
物語の冒頭での住田は、目立たないように「普通」の人生を送ろうと心掛けていた。しかし、母親の失踪を切欠に普通の人生へのレールを踏み外したと感じ、殺人を犯し、やがて「絶望」へと至る。
絶望という言葉を聞くと、脊髄反射的に思いだしてしまうのが、キルケゴール「死に至る病 (岩波文庫)」という本のことだ。この本自体はあまり、読んでいて納得できるものではなかったのだけど(内容を理解出来てないだけかもしれないけど)、ただ「死に至る病とは絶望のことである」という言葉はそのまま、この「ヒミズ」にあてはまるような気がする。
「シガテラ」での荻野が死に至らず、生きのびることができた理由はたぶん、絶望していなかったからだ。そんなことを言ったら、住田はきっと「甘い」と思うだろうけれど、逆にそのようなツッコミの視線から逃げる「甘さ」を持っていたことが、荻野の強さだったのだと思う。
シガテラ5巻を読んだ時の感想*1に私は「例えば失うものがない、という状態は人を強くするとする。逆に守るものがあるという状態は人を弱くするとする」と書いたのだけど、どんなにくだらないものでも、守りたいものや未練や欲望を持ることを自分に許すことが出来れば、絶望せずにいられるのではないかな、なんて思った。そして、その可能性は住田にもあったのだ。
「ヒミズ」を読んだあとに「シガテラ」の最終回を読み返すと、この最終回はきっと最初から用意されていたものだったんだろうと思う。つまんない大人だとツッコミが入っても、開きなおる図々しさは強さなのかもしれない。
この二つの作品が描かれた順番が逆でなくてよかった。
*1:id:ichinics:20050603:p1