郵便屋さん

今配られている地下鉄フリーペーパーmetoro min.の中に、藤原新也さんが出会った二人の郵便配達夫さんの話が載っている。
そのうちの一人として、いくつかの島を管轄しているらしき、素朴な郵便屋さんがでてくるのだけど、彼は赤い自転車とともに船に乗り込んで、向こうの島まで郵便を届けにいくのだ。素敵な話だな、と思うと同時に、藤原さんが書かれているのと同じように私も、郵政民営化のことが思い浮かんだのだけど、そこはまあ勉強不足なのでおいておくとして、手紙のこと。
藤原さんは「彼のような郵便配達夫は利潤追求のシステムに切り替わった途端たちどころに消えてしまうだろう」と書き、それを手紙文化の衰退に重ねている。そして続いて書かれているのが、幼い頃の藤原さんと郵便配達夫とのやりとりなのだけど、そういえば私にもそこで書かれているような、手紙を心待ちにしていた頃があった。藤原さんは転校する前に渡したラブレターの返事を待っていて、いつしか郵便屋さんもその気配を察知するようになっていくのだけど、残念ながら私の場合はラブレターでもなく、そんな郵便屋さんとの心温まるやりとりもなかった。それでも、朝起きてポスト、家に帰ったらまずポスト、寝る前にポスト、という具合に返事を待っていた。私が待っていた手紙の相手は、ちょうど冒頭で描かれている連絡船が行き交うような、離島に住んでいる人だった。

あの手紙は結局届いたのかどうかもわからないし、返事はいまだにきていなくて、私はいつのまにか待つ事もやめていた。もう、あまりにも昔の話だ。それでもやっぱり時折は思いだしてしまうし、もしかして、いつか届くはずだった手紙が届けられるんじゃないかと思ったりすることがある。
そして、そんな手紙が届くなら、持ってきてくれるのは、やっぱり郵便屋さんがいいなぁと思う。利潤追求システムが悪いものであるとも限らないけど、そこに足りないのはなんというか、風情みたいなものであり、それは失ってから初めて気付くことだったりもする。
これから先の郵便配達がどういういう形になっていくのかは、まだうまく想像できないんだけど、なんというか、そういうやりとりの間にはいる仕事には物語があるなあと思った。