『不思議のひと触れ』/シオドア・スタージョン

「輝く断片」を読んで以来、すっかりスタージョンに参ってしまっているこの頃ですが、その作品の魅力を端的に言い表しているのが、あとがきにも引用されていたこの言葉だと思う。

たとえば、作家で書評家のP・スカイラー・ミラーは、スタージョンの文章の特徴が「平凡で日常的な題材に独特の色をつけ、突拍子もないものをなじみ深く見せるような"a touch of strange"にある」と書いている。(あとがきp334)

「輝く断片」を読んだ時の感想*1に、私は「内容は特異とすら言えるのに、その主人公たちには容易に「感情移入して」しまう」と書いたのだけど、こうして2冊の短編集を読み終えてみると、この感想もまさに「a touch of strange」にあったのだとわかる。見た事のあるような風景、出来事が描かれていても、スタージョンの手にかかるとそれは興味深く、味わい深い物語になってしまう。それが見た事も無い、奇妙な出来事であったとしても然り。
しかしその「a touch of strange」はスタージョンの文章の魅力を描写する言葉であると同時に、彼の描く物語の核となるものでもあると思う。「孤独の円盤」という作品の中に、

「映画とおなじで、本に出てくる人々は、だれもが自分の世界をもっている体裁のいい人間ばかりではないか」p321

という言葉がでてくるのだけど、もしかしたら、これはスタージョン自身がいつか感じたことであり、だからこそ彼の作品の多くは(とりあえず私がこれまで読んできた2冊の短編集の中の)平凡な、もしくは周囲の人々となじめないでいる不器用な人物が「不思議のひと触れ」に出会うことによって変化していく様を描いているんじゃないかと思った。
〈以下ネタばれになるので畳みます〉

スタージョンのデビュー作という冒頭の「高額保険」は所謂ショート・ショートミステリなのだけど、まさかショートショートがくると思ってなかったので、あっさりやられてしまった。悔しい! デビュー作にしてすでに彼の語り口の上手さは完成されているように思える。
続く「もうひとりのシーリア」は一人の女性の生活を「覗く」男性の物語、というとよくある題材のようにも思えるんだけど、設定はいろいろ突拍子もない。なのに、その突拍子のなさも全て、実際に自分の目でみたことかのように、リアルに想像できる。が、それよりもさらに男性の人物像のほうが深く印象に残るのが不思議。オチの付け方が良い。
「影よ、影よ、影の国」は、厳格な継母にきびしくしつけられる少年の物語。これがまたすごく良いです。雰囲気としては、カポーティの「遠い声 遠い部屋」を彷佛とさせる。それから高野文子さんの「うらがえしの黒い猫」(絶対安全剃刀―高野文子作品集に収録)は、この「影よ、影よ、影の国」と「タンディの物語」の両作品に通じるところがあって、もしかして高野さんもスタージョンの作品を読んだりしていたのだろうか、なんて考えてしまった。
「裏庭の神様」はとてもよく出来たどんでん返しもの。神様ラクナをはじめとする、登場人物たちが魅力的。これまでの作品の中からすると、ちょっと珍しいくらい「良い話」になっている。
表題作でもある「不思議のひと触れ」は男女が運命的に出会うロマンチックな作品だけど、状況はどう考えてもおかしい。これが映像になったらきっとコメディだと思う。
そして「ぶわん・ばっ!」は「輝く断片」に収録されていた「マエストロを殺せ」と同じくジャズを題材とした小説。このスタージョンという作家さんは、音楽を描写するのが抜群にうまい。文字で音楽を表現するのってほんとうに難しいことだと思うけど、このスタージョンという人にかかると、聴いた事のない曲ですら、体感しているような気分にさせてしまう。タイトル「ぶわん・はっ!」をはじめ、その音を口で表現する部分がまた良かったのだけど、この音の訳については、作家でありジャズミュージシャンでもある田中啓文氏によるものだそう。いつか原書で読んでみたい。
レシピから語りはじめるという手法が素敵な「タンディの物語」での主人公タンディは3人兄弟の2番目の長女。「影よ、影よ、影の国」でも思ったけれど、スタージョンは子どもの描写もとても上手い。内容はSFなんだけど、家族小説として読んでも非常に面白く、家族の間の出来事、兄弟の力関係における繊細なさじ加減の描写は、とてもリアル。
「閉所愛好症」でも、その家族の風景の描写が印象にのこる。そして、この主人公の思考方法はたぶん風変わりなものなのだろうけど、それが容易に伝わってくるのも面白い。例えば、

どういうわけか、思考が物自体より下のレベルへ降りていかない。べつの場所へと至るいつもの道がなにかに閉ざされている。クリスは奇妙なパニックを感じた。就業時間は別にして、クリスは”いま、ここ”に閉じ込められることに慣れていなかった。p214

といった思考経路の描写が興味深い作品。「輝く断片」の中の「君微笑めば」に近い、ちょっと哲学的な短編だと思う。それからp223に書かれている「どんなこともつねに無条件にそうだとは限らない」という言葉は、スタージョンの作品作りにおける哲学ともいえる言葉らしく、彼の素晴らしい描写力の一因は、そのような考え方を通して物事を見ているからなんだろうなと思った。
「雷と薔薇」はこれまで読んできたスタージョンの短編の中では一番ストレートにSF的なんじゃないだろうかと思う。戦争により、人類存亡の危機を迎えたアメリカを舞台としたセンチメンタルな近未来SF。音楽の使い方がドラマチックで良いです。
そして本書のラストを飾るのが「孤独の円盤」。「不思議のひと触れ」で描かれたような男女の出会いを、より切実な感情を伴うものとして描いていて、正直ちょっと泣けてしまった。自分が世界から必要とされていない、という孤独を抱える人物が発するSOSが「誰か」に受け取られるという過程はまるで奇蹟なのだけど、「どんな孤独にもおわりがある」と書くスタージョンの素直な優しさが感じられる作品。これをラストにもってくるあたりに編者の大森望さんの心意気が感じられる。
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全体的に、「輝く断片」と比べると優しい印象の作品が多いので、スタージョンの作品を最初に読むならこっちかもしれない、と思いました。この人の文章を読むのはとにかく楽しい。
面白かった!

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