カテゴライズしたい/したくない

私はとてもひねくれ者なのですが、それと同時に「全然!ちっとも!ひねくれてない!」と思う自分もいて、なんというか、要はカテゴライズされることがとても苦手だったりする。
いや、でもナントカ系とかナニナニ派とかいう話題がとても面白いのはわかるし、そういうこと考えるのは楽しい。マップを広げて、これはここ、あれはあっち、とか配置していく作業は好きなんだ。でも、それは自分から遠すぎてもつまらないし、近過ぎると見てられない。
この感情はなんなんだろう。
さらに不思議なのが、それが自分から近い人から与えられたカテゴリーであるよりも、たとえば占いとか初対面の人からの第一印象とか、そういうところからふと投げかけられるカテゴライズのほうが、大概において受け入れられやすい、ということだ。
それは、普通に考えれば、自分から近い人にはそれだけ期待をしているから、言葉にならない部分をわかってほしいだとか、そういう我がままもでてくるってのが理由のような気もするけど…。
例えば、時にエクスキューズとして使われるカテゴリーを、わざわざ身に付けたくなるときもあるとする。自分の立ち位置を決めといて、いざというとき(なんてのは大抵おとずれないけれど)の言い訳につかうためのカテゴリー。赤信号皆で渡ればなんとかってタイプのそれは、使い捨てられて、移ろっていって、結局はルールブック(というより攻略本かな)のような使われ方しかしないのかななんて思っていたんだけど、なんとなく、なんとなくではあるけれど、人はむしろ、自分と近いようで、でもちょっとずれたところのあるカテゴライズのほうが受け入れやすいってことなんだろうか。そのほうが、いつでも逃げられるしな。
結局皆それぞれ、違うのなんて当たり前なんだけど、傾向とかを見破られるのは悔しい、ってのが私のひねくれた部分で、でもたまーに見破られて、その見破られに反論してみたくなったりもするから結局はひねくれてるんだろうか。そうか。
もうちょっと考えよう。