視点

今日、大学時代の友人が出品している映像展にいってきた。
大学時代は映像系の学科に所属していたので、私も映画を撮ったりとか、脚本書いたりとかしていたんだけど、やがて「撮る」ことよりも物語のほうに興味を持つようになってしまって、自分でカメラをまわすことからはすっかり遠ざかってしまった。しかし人が作ったものを見るのは相変わらず好きだ。
自主制作の、特に脚本のない映像というものの多くが得てして視界の狭いものになりがちなのは、たぶん、全てを1人でやろうとするからだと思う。そして良い画が撮れたときに、それを省くことをなかなか出来ずに、結果として退屈なものになってしまうというケースも多い。
今日見た映像の中にも、いくつかそういう「もったいない」映像があったのだけど、なぜそれがテンポを悪くするかということについて、少し思うところがあった。たぶん散々言い尽くされていることだと思うんだけど、動いている映像を見る時、人は無意識「意味」を読み取ろうとしてしまう。だから、そこに必然性のない映像が挿入されると、そこに意味を見いだそうとし、しかしそれについて説明されないままに映像が進んで行くことで、ストレスを感じるんじゃないだろうか。
映像だけでなくて、文章でも言える事だけど、ものを作り、作品として完成させるときには、省いていくことこそが実は重要だったりするんだと思う。
そしてその省くべき箇所を見つけるためには、必要かどうかを判断する客観的な視点が重要で、そのためには時間をおくか、他人の目に頼るかしたほうがずっと効率が良い。
そして、それが出来なかったからこそ、大学時代に私が作ったものは、思いだすだけでも「うっとうしい」映像になってしまったんだと思う。あの頃自分が撮っていたものを見返す気には当分なれそうもない。作る作業はは楽しかったけど。
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なんて、いろいろ悲観的なことを書いてしまったけれど、やはり今でも作り続けている友人たちがいるというのはとても心強い。今日出品していた友人は既にプロのディレクターとして仕事をしているのだけど、今日のような、プライヴェートなものも作り続けていて、やっぱり続けることっていうのは大切だなと、これまた当たり前なことを考えたりした。