ホテル・クロニクルズ/青山真治

ホテル・クロニクルズ

ホテル・クロニクルズ

青山監督の映画「ユリイカ」は私にとって、もっとも大切な作品の一つだ*1そして映画を見た後に読んだ小説版「ユリイカ」を読んだ時の衝撃も忘れられない。天はニ物を与えるのだ、ということを目の当たりにした気分だった。
それ以来青山監督の作品は、それが映画であれ小説であれ、見つければ見に行ったり手に取ったりしているのだけど、この久々の新刊は第1話が非常に読みづらく感じて、そのまま長らく放置していたのだった。でも読み終えてみたら、多くの(だけど特定の)人に喧伝したい気持ちになった。
この本は、映画監督であり、小説家でもある青山真治さんの私的短編集。一見ノンフィクションのエッセイにも見えるのだけど、読んでいくうちに、フィクションであることがわかる。と、今インタビューを見つけて読んでみたら、やはりそのように書かれていた。

これは映画監督・青山真治が、あちこちにロケに行ったり、バカンスに出かけたり、ひとに呼ばれて話をしにいったり、と旅してまわった結果、そのあちこちで思いついてでっち上げた話
http://shop.kodansha.jp/bc/books/hon/0503/aoyama.html

小説というものの多くが、作者と主人公(もしくは登場人物の誰か)を重ねるようにして描かれるように、この作品ではそれを、表面に出しているだけなのだろうと感じた。上のインタビューで使われてた「疑似ドキュメンタリー」という言葉とはまた違う気がするのだけど。
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ここに収められている作品の登場人物は、ほとんど皆、「いつ死んでもかまわない」と思っている。そして、その気怠い無力感、をまるで「うすらばかの野良猫が貪る惰眠(p177)」のようにやりすごしている。厭世的に思える文章がほとんどなのだけれど、その厭世観の総決算をしているようにも感じられて、後味は決して重くない。
たぶん、その「総決算」の感触が一番ノンフィクションなのではないかなと読み終えた今では思う。以下、だらだらと気になったところをメモします。

第1話、「ブラック・サテン」

思考の移ろいをそのまま文章にしたような冒頭がはじめは読みにくくて仕方なかったんですが、タイトルでピンとくる人にはきっと読みごたえがあると思う。つまりマイルス・デイビスの音楽についての記述が興味深く、物語全体も「オン・ザ・コーナー」を意識して組み立てられているんじゃないかな。

第3話「砂浜に雨が降る」

「Rの生活は、鳥の糞のように落下してくる理不尽な死とそれとほぼ同じ確率で手に入る満足の発見との、ミリ単位の競合だった」p78

こういう言葉の背景に膨大な時間を感じたりすることが、私にとっての小説を読む面白さだったりする。あらずじは全然違うのだけど、村上春樹さんの「土の中の彼女の小さい犬」を思いだした。雨の日のホテル。

第4話「Radio Hawaii」

青山さんのビーチ・ボーイズに対する思い入れが痛いくらい伝わってくる熱のこもった文章。私的な、まるで独り言のように思われる言葉を交えながらこのような「文章」を構成できることに感服する。「デニスこそリアル・ビーチ・ボーイ」という言葉を、当時私もその場にいたら発していたかもしれない。そしてそのニュアンスは、こんなところで感想を書いても全く伝わらないだろうなというのがさみしい。ビーチ・ボーイズが好きな友人にはもれなく勧めて回りたい文章です。

第5話「蜘蛛の家」

ある監督と、助監督が死の間際に過ごした退廃、もしくは堕落の日々の回想譚。物語そのものよりも、老いた監督が発した言葉が印象に残った。

映画作りも含めて執着すべきものなんて俺にとってこの世には何もないってことになるがね(p144)

その執着、という言葉は「メゾン・ド・ヒミコ」の中で春彦が発する台詞の「欲望」と同じ意味だなと思った。この感覚が今ちょっと気になることだったりしてる。(参考→id:ichinics:20050923p1)
それからジョン・カーペンター監督の「エスケープ・フロム・L.A.」についての記述にそそられたので今度見てみようと思う。

第6話「地上にひとつの場所を!」第7話「白猫」

冒頭に挙げた「うすらばかの野良猫が貪る惰眠」という言葉は、第6話の中に「生きることの困難とは、要するに自分の内部に砂漠を抱えることである」という言葉から始まる。そしてその砂漠を抱えながらも、砂漠の肥大化を食い止める為に野良猫となる。たぶんその言葉をうけるようにして、第7話が書き下ろされたのだと思う。第7話は、こう言ってしまうと語弊もあるけれど、再び村上春樹さんの「四月のある晴れた朝に100パーセント の女の子に出会うことについて 」と、その抱えている哀しさについてはそっくりだと思う。この本の中ではいちばん「小説」的。
で、物語とはちょっと関係ないのだけど、

ブラッドベリジョン・ヒューストンのためにメルヴィルの『白鯨』を脚色し、ブラケットはハワード・ホークスのために『大いなる眠り』をウィリアム・フォークナーとともに脚色した。p214

この一文の中に今まで全然知らなかった情報が凝縮されてたのでメモしとく。

それから、青山真治さんによる連載web小説「東京のsolaの下で」が現在更新中なのも今知りました。
こちらに詳細とリンクがあります→ http://www.asahi.com/business/pressrelease/051024.html
12月2日に開業する「マンダリン オリエンタル 東京」のプロモーション企画だそうです。ホテルを舞台にしているという点では「ホテル・クロニクルズ」と近い感じがあるかもしれないですね。これから読む。

*1:それと同じくらい大切に思っている「パリ・テキサス」に下のインタビューで触れられていたのも嬉しい。モーテル・クロニクルズがそんなに流行った本だというのは知らなかったな。古本で買ったけれど積んだままになってる。