例えば

自分の言いたいことを、正確に相手に伝えるということはとても難しい。
例えば、災害に襲われたある土地に行って、そこの人々の結びつきを目の当たりにして感動し、それはもしかしたらそういう災害を切欠として芽生えたものなのかもしれない、ということを言いたい時に、結局誤解されて「災害なんて起きない方がいいに決まっている」なんて返されることは、多々ある。
また例えばすごく好きなものだけれど、それを好きな自分が好きではない、ということを言いたい時というのがあって、「それ」の何が自分にとってネガティブなのかはよく分かっているのだけれど、ああ、まあこうしてあれとかそれとかいう言葉を交えてしまえば、伝わりにくく、最終的には「好きではない」という部分だけが残ってしまったりする。
最近、ある映画のある台詞にとても共感して、その台詞はすごくネガティブな台詞だったんだけれども、その言葉の裏にあるものを考えればとてもポジティブにも感じられる言葉で、でもその語感だけではあんまりにもネガティブだし、それはたぶん、自分にとって足りない部分に響いてくる言葉なんだと思ったので、その話は人にしていなかった。(ここで書いたりはしてるけど)
でもそもそも、そんなふうな「言葉」を必要としていない人もたくさんいて、そして、それはとても健康的なことなんだ。たぶん。
その足りない部分が自分にとってどのくらい大切かが、よくわかんなくて困ってる。
例えば、すごく美味しい食べ物を見つけて、でも滅多に手に入らないものだからもう一生食べれないかもしれなくて、なのにいつも「あれ食べたいな」ばかり思ってしまうとしたら、それを食べたことがあることを喜ぶべきなのか、食べた事を後悔すべきなのか、とか。そういうこと。