アワーミュージック

ichinics2005-11-05
ジャン=リュック・ゴダール 監督作品
ゴダールの映画を映画館で見るのは実はこれがはじめて。学生時代に何本かビデオで見たくらいで、特に好きな監督というわけでもなく、これといってピンとこないまんまだった。
それなのに、なんで今回この「アワー・ミュージック」をわざわざ映画館に見に行ったかというと、それは友達に勧められたからだったんですが、これがとても興味深い作品で、見に行って良かったなと思いました。家で見たらちょっと寝ちゃうかもしれないし。
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過去の作品と比べてどうこうということは私にはわからないけれども、音と台詞と映像とに想起させられるイメージがあまりにも大き過ぎて、映画のスピードについていけないというのが正直な感想だった。しかし、この映画が扱っていることは、たぶん、その「イメージ」そのものなんだと思う。メッセージや物語という「定着したもの」ではなくて、あくまでもその「イメージ」の存在を示唆しているというか。
例えばこの映画の舞台となっているのはサラエヴォなのだけれど、映画のスタンスは必ずしもサラエヴォに感情移入させるようなものではなく(好意的ではあるけれど)、むしろ映画の中でゴダール自身が「切り返しショット」について解説するのと同じ事で、すごく単純な良い方をするならば、物事にはそれぞれの側面があるということなんじゃないかなと思った。
つい先日、友人の制作した映像を見た時に考えた事を書いた(id:ichinics:20051023:p2)のと似ているけれど、そうやって映像を編集していくことで、演出される何か、想起されるイメージ、のようなものの存在を見せよう、あるいは見ようとしていて、何と何を重ねあわせるか、ということは見るものに委ねられているような気さえした。
そして、その「イメージ」というものは、本来受け取る自分自身にしか見え無いものだと思う。でもそれに、両岸から触れあっているような感覚を他者に対して求めることというのはあって、だからこそ、主人公のオルガはイメージの中に「隣に居る誰か」を存在させてたんじゃないかななんて思う。そういうことを、私は昨日や、この日に考えていたんだった。
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とにかくいろいろ考えることがあって興味深い作品ではあるけれど、しかしやっぱり難しいことは難しい。それから、私は大概のものに対して肯定的な部分を見いだしたいと思って日々過ごしているので、監督自身の「映画に対するポリシー?みたいなものに少々違和感を覚えるところもありました。
それに引用とかすごく多かったみたいだけど、私がわかったのはカミュとチャンドラーくらい(これもたぶんだけど)。そのカミュの言葉が確か「真に重要な哲学的問題は自殺だけだ」という意味の言葉で、個人的にこの言葉にはあんま納得できないのですが、こういうことについていろいろ考えたりするのが好きな人には面白い映画だと思います。
で、一つ気に入った台詞があったので最後にメモしておく。

シュメール人が文字を発明するまで、彼らは過去のことを「後」と呼び、将来を「前」と呼んでいた」

言葉って面白い。