「世界」

sekai
ジャ・ジャンクー監督作品

「北京を出ずに世界を回ろう」というちょっと無気味な宣伝文句に彩られた「世界公園」というテーマパークが物語の舞台。そして、その世界公園でダンサーとして働くタオと、警備員をしているタオの恋人タイシェンが物語の中心人物だ。
エッフェル塔や凱旋門、スフィンクスにピラミッド、ビッグベンにロンドン橋。それらの風景は全てミニチュアである。だからこそ、そこで描かれる生活はどこか現実味のないもののように感じる。喧嘩をしても、愛を語っても、その背後にあるのは偽りの風景だ。
恋人に「外へ連れてって」と頼むタオの孤独や不安は、やがて「あなたに裏切られたら私には何も無い」と脅迫めいた言葉へと変化していくのだが、その反面でタオほどの切実な感情を持たず、現状に甘んじていたかに見える(それはポーズかもしれないけど)タイシェンの方が外の世界への出口を手に入れてしまったりする。
また、タオの同僚の女性を追い回す男性も最終的には彼女を追いつめるようなやり方で愛情を示す事になるのだけど、その過程はまるでミニチュアの世界から出て行こうとする者を阻もうとしているかのように映る。
「世界」への憧れが、いつのまにか自分の小さな世界にお互いを押し込めるやり方の「共感」へすり変わっていくのが物悲しいなと思って見ていたのだけど、この「出て行けなさ」は実際に中国の若者のリアルな感情を代弁するものなのだろうか、というのが気になった。もちろん、この映画を普遍的な感情を描いたものと見ることは容易なのだけど。
恋人たちが共感を強要する反面、タオとロシア人ダンサーが料理屋で言葉の通じないままに会話をするシーンではまるで鏡に向かって会話をしているような切実さがあって印象に残った。
 *
とにかく映像の構成力を感じる映画だった。でもだからこそ、最後まで作り物のような感覚から抜け出せず、映画の登場人物たちが繋がらないのと同様、観客である私はその「世界」を外側から眺めることしかできないもどかしさを感じながら映画を見終えたような気がする。でも面白かった。

「世界には差異よりも共通点の方が多いということ」
http://www.cinemacafe.net/photorepo/archives/003104.phtml

という監督の言葉がいい。
それから「世界公園」は実在するらしいです。