宮本から君へ/新井英樹

めちゃめちゃ面白い漫画。

ものわかりの良すぎる若い人間が嫌いです。
ものわかりの悪い年寄りが嫌いです。
クソ意地持った男が好きです。
気持ちに素直な女が好きです。

第1巻の著者コメントに、こんな言葉が書いてあるんだけど、この『宮本から君へ』は、クソ意地はる宮本浩という主人公が七転八倒しながら戦ってく話。
全12巻に渡る長編作品であり、物語も一応分岐していくのだけど、物語がブレないのは今に至るまでの新井英樹作品の特徴だと思う。それは人物を描く、ということがそもそものテーマだからなのだろう。宮本という主人公に焦点が絞られているからこそ、物語は一貫している。
ただ、例えば「キーチ!」がキーチを俯瞰して描き「ザ・ワールド・イズ・マイン」ではトシを傍観者としてモンちゃんを描いていたのに比べ、この「宮本から君へ」は、極めて主人公に近い目線で描かれている。しかし近い目線ではあれど、作者の視点は主人公と重ならずに、物語をコントロールし続ける。主人公と、読者を裏切るような展開を用意しつつ、主人公の行動をきちんと生きた反応として描くことができるのが、この漫画家のすごいところだと思う。
そしてふと思ったのが、これは宮本浩という人物を追うドキュメンタリー映画のような漫画なのかもしれないなということだった。例えばダルデンヌ兄弟のカメラが主人公の背後を追い続けるように、漫画のストーリーはただ、宮本を見つめている。読者はその目線を追うことで、手に取るように宮本の感情を知ることができる。

物語は、おおまかに分けると三部構成になっていて、第1部は通勤電車で一目惚れした女性にまつわる話。「僕の!名前は!宮本浩です!」と自己紹介するとこが、今後を象徴するシーンだと思う。
そして第2部では、文具会社の営業マンとして、先輩の神保とともに、ライバル社との競合を戦う。このやりとりがとても面白くて、勢いがあって、この部分だけで1本の映画になってしまいそう。そして、この経験を経て、宮本は社会人としての自分自身を掴んでいくような気がする。
続く50話くらいから、中野靖子にまつわる第3部に突入するんだけど、1部2部で宮本浩の人格が(漫画の上で)構成され、この50話くらいから俄然宮本の影が濃くなるような気がする。恥ずかしいこと、格好悪いことをいとわずに、突き進む宮本は、確かにはた迷惑な奴なんだけど、だからこそ信頼できる男でもある。神保の仲間に紹介されるシーンで、「男にモテる」と評されるシーンがあるんだけど、尊敬すべき他人を受け入れ、受け入れられないことにはすぐに喧嘩を売る宮本は、常に「男」であろうとしていて、喧嘩も勝つまでやり続ける。「ちくしょ」と悪態ついて、でも一人でそれを解決しようと意地をはり続ける。それは物語の最初から最後まで変わらない。
しかし、自らを「幸せ貧乏」と称し、クソ意地はるくせに自信がなくて卑屈だった宮本は、やがて自分を信じるようになっていく。
中野靖子と付き合い出してからの物語は、一つ一つのエピソードがより濃密に描かれ、風景の描写ひとつとっても、その情景に左右される主人公の感情が息づいている。
無軌道だった宮本の全力疾走が、その矛先を定めるまでの物語といってしまうことは簡単だけども、全ての場面が鮮明な記憶となって焼き付くような漫画で、これが漫画とか物語とか好きとか嫌いとか、そういうこと以前に、宮本浩という人物がいて、これが宮本の人生なんですよ、と見せつけられた気分だ。
実際身の回りにいたら、迷惑な人かもしれないけど、でもやっぱり、宮本は魅力的だ。そして、宮本だったらきっと、意地でも砂漠に雪を降らせようとするんだろうなとか思う。でも、それは遠い世界のためじゃなくて、自分自身のためなんだろう。

「現実が怖くて夢が見れるかあ」(87話)

って叫ぶシーンが好きだ。アホなんだけど。
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第一巻が出たのが1991年。多分、連載当時私は小学校高学年から中学生にかけてくらいだったと思うんだけども、たぶん、最初から8巻めくらいまでは目にはしたはずだ(8巻で出てくる拓馬が恐すぎて脱落したんだったと思う)。でも、当時は殆ど理解できてなかった。それでも一番印象に残っていたアパートの階段で無理矢理キスするシーンは、そのまんまやっぱりあって、なんだか懐かしい人にまたあったような気分で、うれしかった。
というかもう、思いきって言ってしまうと「宮本から君へ」は今こそ読まれるべき漫画だと思う。いや、別に当時でも良かったのかもだけど、棚からボタもちみたいなラブストーリーが愛好される(傾向にあるような気がする)今だからこそ、宮本の出番だと思う。だからぜひ再版して欲しいです。私は愛蔵版と単行本織りまぜて無理矢理揃えました。満足。
蛇足ながら書くと、サンボマスターの「あなたが人を裏切るなら僕は誰かを殺してしまったさ」が宮本っぽい気がします。
宮本から君へ 1 (モーニングKC)
宮本から君へ 12 (モーニングKC)