今とかつて

神はサイコロを振らない」というドラマを最近、見れる日には見ている。面白い。まず、10年前に事故にあった飛行機が現在に戻ってくる、という設定が面白くて、10年前の人と今の自分が現在で出会うというその状況で、今日、小林聡美さんが「私は今を生きている」と話すシーンがあって、とても印象に残った。
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近頃、残業中にはだいたいネットラジオをかけていて、ACCUかVH1(http://www.vh1.com/)のRock/indieチャンネルを聴いているんだけど、今日もそうしていて、そして不意に流れてきたElliott smithの声を聴いて、思い出した光景があって、なんだか泣きそうになった。彼の何を知っているっていうんだろう、感傷的になる資格なんてないじゃないか、と思うのだけど、確かにあの2000年のライブで、彼はステージの上で歌っていて、私はビール片手にそれを笑顔で見ていたんであって、でもあそこにいたのは確かにこの声の主なのだ。
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私は前に「終わらないことがわかってるって怖い」と書いたことがあったけど、昨日は「無限て面白い」と書いた。これはなんだか矛盾しているようにも思えるけども、なんだかちょっと違って、前者の方は「固定」されている感じ。そして後者のほうは常に切断面が現れている感じ。
そんな風に、いろんないつかが重なりあって、今があるわけだけども、いつかにあった出来事を思い出す、ということがあちこちで起こっているということは、何だかすごい無限ぽいなぁと訳のわからないことを考えています。
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でもそれが個人同士の関係について起こるとき、AにあってBには無い時間を超えるのが、なぜ難しいんだろうか。「神はサイコロを振らない」の設定で言えば、Aはもう違う人なのであって、AはBが10年分の自分を知らないという事実の前に、Bが見ているのは今の自分では無いと思ってしまう。でもそれは、かつてを否定するものではないはずだ。
それはやっぱり、今の自分を理解して欲しいという気持ちなんだろうなぁと思った。なんだかすごく当たり前の話のようにも思えるんだけど、何と言うか、大きな器があって、その中に液体が注がれていて、過去も現在も混ざってるんだけど、表面はいつも新しい水面であるみたいな、そんな感じ。
だから、何というか、お互いが噛み合ってる状況というのは、とても奇跡的なことなんだなと、そんなことを思いました。
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それでもやっぱり、その構成要素の中には、あの時あの曲を聴いて、素直にいいなぁと感動して、この先ありえたはずのいろいろな音楽を想像していたりもしていた自分がいた、ということを考えたらなんだか感傷的になったのだった。結局自分なんだけど、それは私が一方的に受け取る側だったからだ。
でもやっぱり、今聴いても、素直にいいなぁと思う。