殺したくない

ここ最近考えていたことを、ざっくり掘り返されたような気がしたのがmichiakiさんのこちらの文章で

ぼくは罪悪感を感じたくないので、自分のことを悪である、と、お前は悪い奴だ、と、常々言い聞かせるようにしています。(そして、それを正そうともしないのでなお悪い奴だ、とメタ込みで言い聞かせ)
http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20060226#1140922706

この文の最後に「死刑執行人選抜案」が書かれていたのですけど、私が最近麻原裁判について書いたりしたときに(id:ichinics:20060221:p2)考えてたのはまさにこの気分で、私はつまり、そのボタンを押す役目を負いたくないなぁと思ってあれを書いたんだった。
でもそれは私がその被告に「同情している」ということではなくて、単に人が一人死ぬという大事に関わりたくないという気分なんだと思います。例えばこれが国と国との戦争だったりしたら、正義がどちらにあるかなんて、それぞれの視点で全く異なるわけですよね? 物語の中では、「トラウマ」のある主人公が誤って人を殺害し、悔い改める、なんてことに感情移入できたりもするけど、それが現実に起きたら、そのトラウマのあるなしに関わらず、「誤って」だろうがなんだろうが、殺された側から見れば主人公が悪になりうる訳です。でもその殺された人を恨んでた人もいるかもしれなくて…と掘り下げていけば、根っこはどこまでも反転しつつ繋がっていて、人類皆兄弟になっちゃう。ってのはあまりにも飛躍しすぎてるかもしれないけど、ともかく、一人を殺して「やれやれ」ってわけにはいかないんじゃないかと思ってしまう。

前に、同じくmichiakiさんの「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問に答えたとき、私はこう書きました。

殺すという行為にはそれだけのリスクが伴われる。
(略)
そして、そういったリスクを伴うことを覚悟、認識できる人だったら、他者の状況を自分自身に置き換えて考えるということも出来るだろうし、そもそも「殺すこと」を選択しないのではないかと思う。
http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20050821/p1

つまり、私は殺してはいけないと思ってるというか、殺したくないだけなんだと思うんですよね。
なんて考えていったら、私は死刑制度にも反対なんだと思う。
だって、私がその善悪を判断するならば、やはり被害者加害者両方についてよく知らなくちゃいけないわけで(善悪なんてのは「説明のいらないこと」とは思えない。法律は多数決だ。)、それを代わりにやってくれるのが警察や裁判所だったりする。それは理解してても、その結論が死刑になるのは、やっぱり違和感がある。
でも、だからといって死刑制度廃止運動とか起こすつもりもなくて、そしてそれを理解したうえで改善(でも改善ってなんだ?)しようともしてない。自分のやりたいことを最優先している、という意味で、私は悪人なんだなぁ、という結論に今日のところは達しました。
ただの開き直りですが、罪悪感を感じたら、その罪悪感が薄れてくことにまた罪悪感を感じて、という展開が想像できちゃうから、やっぱり罪悪感は感じたくない。「でも想像できるのに、何もしてないんだ?」「そうだよ悪いか!」という混乱をしずめるための自己解決法(思考停止)としてとりあえず、悪人ですと認めるしかない。
でも現実問題として、実際そのボタンを押さなきゃいけない立場になったらどうするかなぁ。多数決によって、明らかに「悪」であると判断されたにしろ、「私」に害を及ぼした訳ではない人を、殺せるだろうか?(←これは特定の事件に対して言ってることではないです)
私が殺されないために、という状況だったとしても、それに代替されるのは「殺す」ことだけじゃないと思う。