帰り道

いそがしい…とかもう書き過ぎてる気がするけど、ちょっともう、なんかもう、容量オーバーなのは明らかで、日々、早く乗り切りたい一心でいるのだけど、家に帰ってきて日記書いたり漫画読んだりしてるときは、仕事のことなんてさっぱり、考えないでいられる自分がいるのが、ちょっと不思議だけど便利な頭だ、とも思う。それには、帰り道、という時間がうまく作用してんのかもとか思ったりした。通勤にはだいたい一時間半くらいかかるのだけど、そのあいだに、考え事がだんだん個人のことにシフトしていく感じ。

その帰り道に、だいたい毎日立ち寄るコンビニがあって、そこには、なにかといろいろくれたりして、私もCD屋時代に社販でCD買ってってあげたり、なんて付き合いをしている、わりとなかよしのおじさんがいるのだけど、そのおじさんが、現在の私の職業について何か、完全に勘違いをしてらっしゃる、ということに今日気が付いた。どうすっかなーと思ったけど、そのまんまにしてしまった。

その帰り道に、わたしはだいたいipodで音楽を聴いているのだけど、いつかに、誰か、そのミュージシャンが、吹き込んだ歌声が、いま私の耳に聴こえている、という、そんだけのことで泣けそうな、センチメンタル過剰な私がいるのですけど、周囲からはクールだ、といわれたりもします。女の子らしくないよね、としみじみいわれたりもします。自分がどんななのか、さっぱりわかりません。

その帰り道に、考えることというのはだいたいその日におこったことではなくて、ふと、何かのきっかけで思い出した「ある日」のことだったりするのだけど、こうやって何回も何回も、記憶の中で繰り返し再生される記憶というのはその度に少しずつ新しく上書きされていく部分があって、いつか、全然、まったく、違うものになってしまうのだろうかなんて考えると、さみしいような気もするけど、なくなってしまったものもまた、ちゃんと新陳代謝しているということなのかもしれない、なんて思ったりもする。

そんな帰り道の断片が集まって日記になってたりする、こともあるなぁと思った。つまり、なんか、なやんでる。