ブロークバック見終わって

仕事が終わらないので明日も行くことにして、とりあえず最終回の「ブロークバック」を滑り込みで見た。なんかカップルだらけだった。女一人は私だけだったんではないかというような、そんくらいの偏った入りがちょっと意外。
映画の中で最も感情移入できたのは、ミシェル・ウィリアムズが演じたイニスの妻だったんですが、彼女が被害者に感じられてしまうのは、私が女だからなのか、ということをすごく考えてしまって、なんというか、カテゴライズされることを苦手としているのは私の不自由なところなんですけど、お前は女だぞーと脳に言われてる気がしていやだった。
けど、それはきっと、AさんがBさんを好き、ということを想像するのと同じわけで、でもそれが想像できるからといって、自分がBさんを好きになれるわけではない。
異性愛者だからといって、異性なら誰でも良いわけでなく、それはきっと同性愛者でもどちらも好きになれるひとでも同じだろうと思うけど(それは理想論なのかな)、その、何故お互いか、というとこがやっぱ弱い気がする。うーん。
ちょうど「祈りの海」(毎日これのこと書いてるけど)で『繭』を読み終わったとこだったので、余計いろいろ考えてしまったのだけど、

「生まれつきのことを、なぜ誇ることがある? 誇りはしないが、恥じもしない。あまんじるだけのことだ。それを証明するために行進に参加する必要はない」(『祈りの海』p110)

という台詞にはすごくしっくりきたんだけど、これはまたちょっと未来の話だしな。
とりあえず、エンドロールでルーファス・ウェインライトがかかったのは嬉しかった。