『これがニーチェだ』を読む/その2

第五章『反キリスト』のイエス像と、ニーチェの終焉

この本を読んでいると、ニーチェの生きた時代、国、環境において、キリスト教こそが道徳であり倫理だったのだろうと痛感する。そしてニーチェはきっと、そこに疑問を投げかけ続け、疑い続けていたのだと思える。それは現代の、しかも日本に暮らす私が想像するより、ずっと重いことだっただろう。でも、「疑うこと」に罪の意識を感じるということ。それはキリスト教においてだけでなく、いま、この世の中における「勝てば官軍」の後にあるものもすべてにおいて、疑うことが禁忌とされている、ような気がするからじゃないだろうか? でもなんで? そう考え続けていたのがニーチェであり、その罪の意識こそが、かれの文章、そしてそこから伺える思考に悲観的色合いがにじむ理由のような気がする、といったら言い過ぎかな。とりあえず私はそう感じている。

「このとき以来、私のすべての著作は釣り針となった。たぶん、私は誰にも劣らぬ釣り上手だ。……何も釣れなかった。だが、それは私のせいではない。魚がいなかったのだ……」p152/『この人を見よ』

強調部分は原文にて傍点をふってある箇所です。以下の引用も同様。
この部分だけ読んでみれば、それは傲慢な物言いにも読める。しかし、それでもニーチェの言葉が(たとえそれに共感しないとしても)価値のあるものである理由は、彼に対して最も痛烈に批判を投げかける者が彼自身だから、なのだと思う。そうやって、自らの容赦のない批判の目にさらされながら、しかしそれをもねじ伏せて生み出されたもの、それを私は信頼に足るものだと感じる。その過程については、私が想像するしかないにしても。
そして「牧師の子」として生まれたニーチェは、「反キリスト」の中でこう書いているという。

私はキリスト教の本当の歴史を物語る。すでに「キリスト教」という言葉が一つの誤解である。――根本においては、ただ一人のキリスト教徒がいただけであり、その人は十字架上で死んだのである。p154/『反キリスト』三九

ここを読んで、私は目から鱗が落ちたような気がした。
私の親戚には牧師さんがいて、私も幼い頃は教会に通っていたので、キリスト教についてはある程度の知識があり、その考えに共感している部分ももちろん、ある。ただ、ずっと感じていた違和感に、なんとなく新しい光をあててもらったような気になった。
この前書いた「ただ、私が不思議に思うのは、自分の中にある何か、ではなくて、外側にあるものを信仰しようとすること、というか、他者のイメージを受け入れるというやり方、だったりする。(id:ichinics:20060504:p1)」というのは、まさにそれだ。ううん、うまく言えない、し、なんとなく認めたくないのだけど、もしかして、何かを完全に信仰するということは、「疑わない」ということなのではないか。そして疑うという可能性すら忘れ去るということ。だからこそ、誰かがそれを「真似る」ことには嘘(演技)が混じってはいないか、ということ?

私が嘘と呼ぶのは、見えるものを見まいとすること、あるいは見えるとおりには見まいとすることである。p162/『反キリスト』五五

これは「思考停止」しないとはどういうことか、にもあてはまる言葉だと思う。でも、ここでも反転し続けている。ううん、そもそも疑うということは、善でも悪でもない。その境地にまず立つこと、地平を開くこと、でもそこに立つというのはどういうことなんだろう?

ちょっと発見したこと

ルナンがイエスを「英雄」という類型で捉えたのに対し、ニーチェはそれを批判して、イエスを「白痴(idiot=語源的には「自分だけの世界に生きる者」)という類型で捉えた(二九)。
(略)
だが、その根源にあるのは、「どんな接触をも痛ましいほど深刻に感受するがゆえに、およそもう『触れて』ほしくない」(三〇)と感じるような、極度に敏感な感受性の型値なのである。(p156)

このidiotという言葉は古い版では削除されてたらしいのですけど、この言葉はすごい。
そして(またですが)スタージョンの『人間以上』第一章「とほうもない白痴」で描かれていた白痴の着想は、この言葉にあったのではないかと思った。

かれは、どこかひとりはなれて、言葉と意味をつなぐ小さな環が切れてぶらさがっている世界のなかに住んでいた。彼の眼はすばらしくて、笑顔と怒りをすぐに見わけることができた。だが、自分自身は笑ったことも怒ったこともなく、相手の気嫌の良し悪しもわからないという、感情移入に欠けた生きものだったから、そういったことはなんの影響もおよぼさなかった。/『人間以上』p10

そう考えてみると、あの物語で描かれていたことを、もう一度捉え直すことができそうな気がして、楽しい。わー!
『人間以上』の感想 → id:ichinics:20051115:p1