『これがニーチェだ』を読む/その5

これがニーチェだ (講談社現代新書)

これがニーチェだ (講談社現代新書)

私が嘘と呼ぶのは、見えるものを見まいとすること、あるいは見えるとおりには見まいとすることである。p162/『反キリスト』五五

第五章の感想の最後に、この文章を引用した。そしてその境地に立つとはどういうことだろう? と想像してみると、それは以前書いた「考えることのイメージ」でイメージしていたことに近い風景だった。

でもいつか、その亀裂の暗く覆われている部分が全部照らし出されるときがくるんだろうか、と想像すると、それは立体が解体されて平面になっちゃうようなことなのかもしれない、という漠然としたこわさもあって(id:ichinics:20060311:p3)

この文章を、私は最初「想像すると、それは死に似ている」と書いていた。でもそれはなんかネガティブすぎるような気がして、書き直したんだった。しかし、おこがましくも、先に引用した「見まいとすること」を嘘ととらえているニーチェの文章を読んでいると、その嘘を自らに禁じたために、それが平面になっていくような恐さがあった。
しかし第六章の序文にはこうある。

私はまだ生きている。私はまだ考える。私はなお生きなければならない。私はなお考えなければならないからだ。p168/『知識』二七六

感動しちゃうよね。と思って、ぞくぞくした。そして六章。長々と書いてきたけどこれでとりあえずおしまい。

第六章 第三空間――永劫回帰=遊ぶ子供の聖なる肯定

永劫回帰」という考え、発想については、うまく自分の言葉に置き換えられないのだけど、それはつまり究極の「肯定」だと思う。幾度か重ねて読んでいたからかもしれないけれど、西島大介さんの「アトモスフィア」で描かれていたのも「永劫回帰」だったのではないかなと思う。すべては既にあったこと、それは善でも悪でもなくただ「あったこと」という、究極の「赦し」。
しかし、それを「受け入れる」「欲する」という言葉に置き換えてしまうと、それはルサンチマン的な価値転倒になってしまわないだろうか? そのような疑いを持ちながら読み進めていくと、これは永井均さんならではの解釈なのかもしれないけれど、すごいとこに行き着く。

「世界を解釈するのはわれわれの欲求だ」と答えたのでは、それはまた別のものを背後に挿入したことになるだろう。欲求、欲動、欲望、衝動、等々もまた、捏造され、背後に挿入されたものだからである。だが、背後に何も挿入されていないとは、どのようなことであろうか。p187-188
〈略〉
世界と自分は、分離されない形式そのものであり、それがすなわち内容なのである。p188

強調部分は原文にて傍点をふってある箇所です。以下の引用も同様。
ここで、視点が跳躍する。うーん、跳躍、はちょっと違うかな。でもとにかく見える風景がぐるりとかわる。こういう瞬間が、哲学の面白いとこなのかなぁ、とか思いはじめていますが、つまり比較対象のない、ただひとりの開闢としての私*1、ということなのだと思う。

真の世界の存在が否定されると同時に、実在と仮象の対立そのものが消滅し、科学的・実証的にとらえられた実在をする世界もまた一つの「寓話」となる。「寓話」とは要するに、実在ではなく解釈によって構成されたものという意味である。ニーチェはこれを「正午」と評してここで過程を終えている。p199

その「正午」の世界が、私のイメージしていた「立体が解体され平面になること」の状景に近いのかもしれない。でもまだ先があるんだ。唯一残された「捏造」である光源を取り去り、「仮象」が「実在」になる。すべてが最初からあった、と、そういうことだと私は思ったりした。

私はあまりに満ち足りている。それで、私は自分自身を忘れてしまう。p213

上に引用した「私はまだ生きている」の文章と、同じ年に書かれた言葉がこれです。なんだかちょっと、かなしい言葉に感じる。でも、この言葉が「永劫回帰」の肯定というゴールではなく、脱出につながっているのだとしたら?

ニーチェはほかの牧人たちとは違って、牧畜たちが自分の牧場を脱け出し、各自の方向を見いだすことを教えたのであろうから。p215

最初から、世界は自分の手のひらの中にある。私がいる限り私がいる。そんだけのことを肯定して、何かが始まるっていう、そんな物語を想像しました。

なんだかこの本(およびニーチェ)については、だいぶうがった見方をしつつ、楽しんで読んでしまったので、永井均さんの提示していたところからもさらにずれているのかもしれない。正しく読めるようになりたいとは思う。でも感じたことは感じたこと、でとっておいてもいいかなと思います。結びの文章がちょう格好良いのですが、もったいないので引用はしない。

まとめ

  1. 最初に/id:ichinics:20060513:p1
  2. 第五章について/id:ichinics:20060513:p2
  3. 第一章と「なぜ人を殺してはいけないのか」/id:ichinics:20060514:p2
  4. 脱線/id:ichinics:20060515:p2
  5. 第二章と「ルサンチマンについて」/http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060517/p1

*1:永井均さんの『私・今・そして神』からの言葉