世界はひろいらしい

ちかごろへん、へんだなーと思っても、だからといってどうしようもないのでへんなまんまなんだけど、なんかへん。
思い当たるふしはいくつかあって、うちの一つは、例えば、ピアノにはそこそこ自信があるって思ってた人が、しばらく弾かないでいたら指がなまってることに気付いてしまった、という感じで、別に、それを拠り所にしてたわけじゃないんだけど、というのは言い訳で、実際ちょこっとは拠り所にしていたので正直焦っている。それがなくなったら、私のとりえなんてなんもないんだということはわかってるのでむしろ泣きたい。そもそもとりえといえるほどのレベルですらなかったのに。でも、その勘を取り戻すには、すごい練習しなきゃいけない(ピアノの例でいえば)ということも分かってるし、でもピアノは好きなのでやりたいんだけど、気持ちに余裕がない。そして余裕がないせいにしているだけでしょ? というのがわかりきっているので嫌だ。
でもそれはどうにかする。ピアノはちゃんと好きだし、やめるつもりもないから、だいじょうぶ。(と自分に言い聞かせるのをなんでわざわざネットにあげてるんだじぶん、と思いますけど、それはいつも思ってるのでこれからはできるだけ略そうと思います)
でもこういうのって世界の広さにこわくなる、というのとおんなじ構造の気持ちで、それは同時に視界が狭くなっているということでもあり、世界の広さによって勇気づけられるものでもあるんだろうな。なんだそのきれいごと。でも、世界を構成するほとんどのことは表裏一体なのですと思う。そんなこと口に出して言ったことないけど、きっと世界には口に出されたことのないたくさんの気持ちがあるんだろう。
私はそういうの、なんにも知らないんだな。