すべての物語はあなたのためにある

人力検索はてなで気になってた質問。

小説が好きな方、嫌いな方。
私は基本的に小説というものを読みません。
理由は(1)表現が回りくどい。(2)ある程度読んでつまらないと思った作品だと、それまでの時間が無駄に感じる(3)立ち読みして面白そうなのか全く判断がつかず、買う(借りる)機会がないからです。
例外として、歴史小説・自叙伝・ノンフィクションといった事実に基づくもの(知的好奇心を充たしてくれる)、シドニーシェルダン(表現が簡単、すぐ読める、単純に面白い)は大好きです。
小説が好きな方、嫌いな方はこんな私をどう思いますか?(好きな方は上記(1)〜(3)の理由についてどう思われますか?)
又、小説を読むことでパーソナリティーに与えるものって何だと思われますか?(例えば感情表現が豊になる等)
最後に、「この一冊はお薦め」というのがあれば、是非、ご紹介願います。愚問ですいませんが。
http://q.hatena.ne.jp/1149898573

なぜか回答が開けないので(私のブラウザの問題だと思うけど)他の方の回答はトラックバックだけしか見ていないのですが、ちょっと私も答えてみたい。
まず、一番の疑問は、映画や漫画は好きなのかなぁ、ということです。フィクションが嫌いなのか、小説という表現手法が嫌いなのかによってかなり違うと思うけど、ここではたぶん後者だと推測します。そして、この質問者の方の文を読む限り、文章を読むことが嫌いという訳ではないんだろうなと思います。そして、歴史小説、自叙伝、ノンフィクションは好んで読む、という部分から、役に立つ/立ちそう、なものが好きなのだろうなと推測します。この場合の「役に立つ」は自分の知識が増えるとか、そういうことかな。で、それがなぜ小説ではだめなのか、というと、それが「事実に基づいてないので情報として信用に足らない」印象を持っているということでしょうか。それでもシドニー・シェルダンは読まれるということなので(私は読んだことないのですが、エンタテインメントですよね?)たぶん「とっつきやすくて」「面白い」と感じられれば満足を得られるのだろうと思います。
――と、以上の推測を前提に考えてみます。あくまで推測なので、質問者の方の意図とは異なるかもしれませんが。

表現が回りくどい。

小説というのは事実を書いたものでなくても、その本の著者にとっては、ドキュメントであり得るものだろうと考えています。ドキュメンタリーにしろ、物語にしろ、そこには真実が含まれているはずだ、と私は思います。そして小説の場合、それは例えば物語の中で説明しなければあらわせない感情だったりする。
例えば「私は大切にしていたAを無くして悲しい」と書くことと「Aを無くしたことで、私は自分の一部が失われたような気がした」と書くことと「Aが無くなってはじめて、私はそれが自分にとってどんな存在だったのかを知った」と書くことと。どれがいい、とかそういうことではなくて、その時の気持ちに一番しっくりくる(と考えて作者が選んだ)表現がそこには選ばれているはずだ。
私は基本的に、小説というのは読者のためにあるものだと思っています。物語を受け取るときに、そこに書かれた感情は読み手のものになりうる。回りくどい、と感じる表現のものもあるだろうけれど、その回り道にこそ意味を見いだせる物語もあるはず。その基準はそれこそ人それぞれですけど、そういった作品に巡り会うことが、その後の読書というものに対する意識を変える部分はあるんじゃないかと思う。

ある程度読んでつまらないと思った作品だと、それまでの時間が無駄に感じる

確かに、私も十代の頃は、読む速度が遅かったせいか、そう感じることが多かったように思う。特に読書感想文とか、自分の意志でよんでいるわけじゃない本については。
でもそれは、核心を語るための地盤づくりだったりすることが多いですし、そもそも物語というのは、多少の例外を除いて、最後まで読んでみなければその全貌は量れないと思います。でも損した気分になるのが嫌だなぁと思う場合は、やはりある程度好みにあった作品を手に取る必要があるのかな。食べたいのは肉なのか野菜なのか魚介類なのか、とかそういう感じに。なので、

立ち読みして面白そうなのか全く判断がつかず、買う(借りる)機会がないからです

これも、ある程度自分の好みを知ってくれている人にお薦めしてもらうのがいいんじゃないかなと思います。まあもちろん無理して小説を読む必要はないのですけど、例えば趣味が合いそうだ、と思う人のブログでお薦めされてるものを買ってみる、とか、尊敬する人の愛読書を読んでみる、とか。ある程度内容に期待できるものなら、途中までつまらなく感じられても、「期待値」に後押しされて読みおえることができるのではないでしょうか。

又、小説を読むことでパーソナリティーに与えるものって何だと思われますか?(例えば感情表現が豊になる等)

もしかしたら、この質問をされた方は、小説の価値を「パーソナリティに影響を与えること」に見ているのかもしれません。もちろん影響を受ける部分はあると思いますが、それは物語によって様々でしょう。でももしかしたら、そのように「何かを受け取ろう」として読むことこそが、物語から意識を遠ざけてしまうのかもしれません。
音楽を聞いたり、絵を見たり、映画を見たり、旅行をしたり、そういったことと同じように、物語はまず「ただその中に入る」ものだと思います。そして親密な読書というのは、例えば自分の思考回路というものに行き詰まったときに、違う角度から光を当ててくれるものだったりする。

小説の役立て方

でも小説を読むことが「役立つ」なぁ、と思う瞬間もある。まず、言葉を覚えるということ。自分のボキャブラリーを増やすだけでなく、他人がそれを使うとき、それがどんな意味/ニュアンスなのかを推し量る材料としてストックできる。また、様々な状況における人間の心理のシミュレーションとしてとらえるということ。共感できなければ自分だったらこうする、などの思考シミュレーションとしても「使用」できるんじゃないでしょうか? また、そういう意味ではノンフィクションや自叙伝のほうが「事実」である分、嘘を含んでいる可能性はおおきい、のかもしれません。(ん?)

最後に、「この一冊はお薦め」というのがあれば、是非、ご紹介願います。

最初の推測を参考に考えると、読みやすいミステリーがいいのかな。だとすると定番ながらアガサ・クリスティの作品などは、最後まで読めば、読むという労力に見合ったカタルシスを提供してくれる作品が多いと思う。敢えて一冊挙げるなら「そして誰もいなくなった」。*1
また歴史小説やノンフィクションのラインでも、小説寄りのものはたくさんあるので、その辺から手を付けるのも良いかもしれません。ぱっと思い付くのは、カポーティ「冷血」や、梁石日血と骨」、遠藤周作「沈黙」などかな。

物語が好き

私は小説が好きです。でも全ての人にとって、なければ生きていけない、というものではないだろうし(でも物語は必要だ、と思います)だから読まない、という人がいるのもわかる。ここに書いたことも、小説を好まない人から見れば「表現が回りくどい」のかもしれないけど、
例えば、物語というのは、話しかけてくる存在のようなものだと思う。本を開いたとき、その本は私だけのために語りはじめる。それを最後まで聞くのも、聞き流すのも、つまらないと思うのも、自分次第だ。ただ、世界中に眠っているはたくさんの物語は、すべてそれを読む人のためにある。その中にはきっと、私に/あなたに開かれるのを待っているものだって、あるんじゃないかなと思う。

*1:次点は「アクロイド殺し」だけど、これは人を選ぶかもしれない