その言葉のチカラってのはどんなものなのか

「言葉に救われた。 言葉に背中を押された。言葉に涙を流した。言葉は人を動かす。私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言朝日新聞
今回のCMは、前回と同じく「言葉のチカラ」をテーマにしていますが、「言葉には人を救ったり、勇気を与えたりするポジティブな力もある。だから、朝日新聞は言葉の力を信じている」と、朝日新聞社の決意を再び伝えます。

前回が感情的で残酷でときに無力なネガティブさだったので、今回はポジティブをということでしょうか。ううーん、なんだかちょっと言い訳めいているような。

「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも、私たちは信じている、言葉のチカラを」

これが前回。前もいろいろ書いたけど(id:ichinics:20060201:p3)結局、感情的であることからは逃れられないみたいだ。
確かに言葉によって人が救われたり動かされたり背中を押されたり涙を流したりすることはあるだろうし、それはときに残酷で無力かもしれない。しかしそれは言葉のもつ力というよりは、むしろ発する人間の感情の力ではないのだろうか。言葉が単体で力を持つ時、というのは、それはもう感情というより、装置というかフィクションの域にあるような気がする。
そしてそのような「言葉のチカラ」というのは、ジャーナリストに求められていることなのかな? 違うような気がする。
考えようと思ったけど、まとまらない。
とりあえず私は、朝日新聞がどうこうというより、この一連の広告が好きじゃないみたいだ。