「なぜ“メタル”は嫌われ、非難されるのか」

メタルヘッドバンガーズジャーニー」を見た。
ヘヴィ・メタルの歴史は長く、かなり多くのコアファンを擁しているわけだけど、スポットを浴びることの少ない音楽ジャンルでもあり、メタルファン以外には全体像をつかみにくいジャンルだと思う。
この映画のジャンル分けで「メタルに属すバンド」の中には個人的に好きなアーティストもいたけれど、ジャンルとしてのメタルに興味を持ったことがなかったので、この映画はとても面白かったし参考になった。とはいえ、筋金入りのメタルファンである監督の「ファン」としてのスタンスが強く全面に出ているので、1意見におさまっているという感触は否めないけれど、その視野の狭さもなんだか好印象。

「あの夏はSLAYERを聴いてたなー、なんてことはない(ロブ・ゾンビ)」

映画はメタルの歴史、音楽、ファン、ファッション、男性的であること、歌詞など、様々な部分にスポットをあてながら進む。
いろいろと興味深い発言をしていたのが元ホワイトゾンビのロブ・ゾンビ。メタルファンの息の長さと、そのファッションにも現れているコミュニティ性をとても冷静に語っていた。映画中に見せられるチャート式のジャンル分布図を見て、メタルに含まれるジャンルが多いことを意外に思ったのだけど(グランジやミクスチャーも入ってたような/そうなの?)、映画を見ている限り、アーティスト同士、ファン同士、その広い分布図の中に属しているものに対する「仲間意識」のようなものが感じられ、さらに意外に思う。実際どうかはわからないけど、しかしそのような団結力が、逆に排他性を生み保守的になる一因なのではないかとも思ったりした。ではその団結力とは何か。
『スミスやリプレイスメンツを聴く奴は「俺は人とは違う」と思う。孤独を愛する。しかしメタルファンは「俺たちはおかしくない」と言う』というようなことをインタビューで答えている人が(誰か失念したが)いた。これはもっともだなーと思ったのだけど(そして私はどちらかというと前者に属する音楽を聴いてきた)メタルというのはどうやら「俺たち/我々」の音楽であるようだ。「あの夏はSLAYERを聴いてたなー」なんてことがなく、半永久的にファンであり続ける、というのはファンとしてもミュージシャンとしても幸福なことかもしれない(ちなみに私のレコード店時代の上司にもアイアン・メイデンファンがいたが、その好きさはまるで「生まれつき」で、たぶんファンをやめることはないだろうと思われた。)。しかしだ。監督は「メタルがなぜ嫌われるのか」ということをテーマに映画を撮っているし、たぶんメタルファンとしてメタルの素晴らしさを伝えたいという思いがあるのだろうが、例えば、メタルがヒットチャートの上位を独占し広く受け入れられるということは同時に「あの夏はメタルだったなー」というファンを増やし、消費されていくということだろう。だとしたら、むしろメタルは今までそうならないで「生き延びてこられた」ということを喜んでもいいんじゃないか、と思ったりした。

メタルにはダサさが必要

メタルファンの人に喧嘩を売るわけではないのですけど、メタルは意図的にマイノリティであり続けようとしているジャンルなんじゃないかと思う。だからむしろ、「おしゃれになったら負けだと思ってる」んじゃないか。「抑圧されている」という状況が(実際はどうかわからないが)むしろ求心力を生んでいるんじゃないか? キャッチーでポップで商業主義的な音楽は、うまくいけば広いがどうしても薄まる。コアな人気のクオリティを保つためには、常にカウンターであり続けるのが理想だと思うけど、それはなかなか意図してできることではないだろう。しかし、たぶん、プロモーション事情なども絡み、音楽ジャンルとしてのメタルは「(スタイルとして)保守的な/ダサさ」の残るものだけがメタルと呼ばれ、他ジャンルに属すことのできるもの(グランジ、ミクスチャー、ハードコア、サイコビリー、etc)を切り離してきたと思う。それが逆にジャンルを生き延ばす原因になったんじゃないか、と思った。
また、その反社会、反宗教的な歌詞について、メタルが青少年に悪影響を与えるとされ、非難を受けている場面も出てきたが、私はここでつい「ゲーム脳」のことを考えてしまった。どちらも暴力的表現が多い(とされている)ところで共通点があるかもと思ったがそれはまあおいとく。ただ「叩かれる」ということがよりファンの団結力を強めるということも、あるのではないかとも思う。
ただ、ここでさらに意外だったのが、ブラック・メタルノルウェー)の人たちはとりあえず除き、意外と歌詞に重きを置いていないような発言をしているアーティストが多かったことだ。重きを置いてない、というのはちょっと違うけど「俺の意見」というよりは「メタルの意見」を歌詞として選択しているような印象を受ける人もいて(これも誰か忘れた)、それもまた「我々/俺たち」の音楽だからなのかなと思う。

なぜメタルファンはコアなのか

しかし「カウンターであること」や「排他的であること」が保たれているように感じるのは、その歌詞にある反宗教的な部分云々やファッションの特異性なんかよりも、それが劇場型の音楽だからなんじゃないかと思った。
映画の中に、いくつかライブシーンが出てくるのだけど、これがまあ、とにかく楽しそうなんだよな。アイアン・メイデンのブルース・ディッキンソンが、メタルのヴォーカルとして、会場の一番奥にいるファンにまで届くように歌う、というようなことを話していて「ライブがうまくいくと、会場が縮むような気がする」と言っていたんだけど、これはすごいことだと思った。そしてちらっと映った映像だけで、そのヴォーカルは全く好みではないけども、ライブ会場にいたら鳥肌がたつだろうと思った。
エモーショナルなヴォーカルというのは、その曲の好悪を越えて胸をうつところがある。ブルース・ディッキンソンのようなハイトーンでオペラ的なヴォーカルが特徴的なメタル(それがメタルだと思ってた)が好みじゃない私も、例えばレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンSystem of a Downロブ・ゾンビがかっこいいと思うのは、そのパフォーマンスの熱によるところが大きい。サマソニで見たマリリン・マンソンは恐かったけどすごいライブだと思ってその後アルバム買ってしまったし。ちなみにハイトーンだけどもJUDAS PRIESTもかっこいいと思う。サバスやZEPはもちろんのこと。
たぶんきっと、ライブ会場で音に参加することに意義がある音楽というのは、長生きするのだと思う。

メタルといっても、まあきっといろいろだ

メタルを通らないできた音楽ファンとしては、この映画でその魅力の一端でも知ることができてよかったと思う。楽しかった。しかし音に関する掘り下げ方は、ちょっと物足りなかったかもしれない。チャート出すなら、それらのスタイルにどんな違いがあるのかちゃんと説明して欲しかった。
私がなぜメタルをたぶん意図的に遠ざけてきたのかといえば、まずはジャケットのイメージと(これはホラー映画が好きとかそういうのとつながるのかなぁ?)、そのイメージがテクニック重視に思えた点だったと思う。この映画を見る限りでは、その原因はエディ・ヴァンヘイレンにあったというようなニュアンスだった。あの速く/高音の/長いギターソロ。特にクラッシックの旋律のあれが苦手なんだけど(それはオルガン苦手にも通じてます)、メタルファンの中で、特にヘヴィ・ロックを好む人たちにとってテクニック系(ヴァン・ヘイレンをその括りに入れていいのかはわからないけど)ってどう受け取られてるんだろうとか、そういうとこもっと見たかった。インギ様とか、北欧メタルとか、そういやノータッチだったけど、どうなんだろ。「あれはメタルじゃない」とかっていがみ合うメタルファンも見たかったなぁ。唯一異端ぽく紹介されたのが、グラム・メタルだったけども、これもさらっと流してたしなぁ。

「なぜ“メタル”は嫌われ、非難されるのか」

この映画での、この問いに対する答えは、正直凡庸に感じた。
今まで遠巻きに見ていたメタルというジャンルと「なぜ“メタル”は嫌われ、非難されるのか」というテーマを比べてみたとき、思い付くのはやはり、「嫌われ、非難される」ことが求心力のひとつになっているからなのではないかと思う。
「メタルなんて聴いちゃって、気取ってる」とは言われないこと。好きだからこれを選んだと言えること。それが団結力を生むのか。どうか。もうちょっと見聞きしてみたい。

参考

Dirk_Digglerさんの、こちらの感想(http://d.hatena.ne.jp/./Dirk_Diggler/20060630#p1)がわかりやすくとても面白かったです。上で疑問だったグランジ周辺のこともきちんとフォローされていた。