教育と政治

安倍政権でこうなる [首相主導で「教育再生」]
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200609/060904b.html

「新政権に何を期待するか?」というシンポジウムでの発言を抜粋した記事。なんどよんでもすごい。
まず、最初の下村議員の意見は大きくわけて三つ。

「高校卒業は3月だが、大学入学は9月にする。半年のブランクのうち三か月間は、介護施設などで奉仕活動をしてもらい、その経験がなければ大学に入学させない。」
「駄目な教師は辞めさせる。一方で、いい先生の待遇をよくするという体系に変える。親が学校に期待しているのは、いい先生だ。」
ジェンダーフリー教育は即刻やめさせる。自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる。」

一番目はこれ(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060914ia02.htm)にもある。確かに道徳教育は大切なものだと思いますが、奉仕活動を義務化というのは矛盾した話ですし、それを介護など人間相手の仕事で体験させるのはやめた方がいいと思う。そもそも九月入学にしたい理由がいまいちわからない。
それから、二番目の「駄目な教師/いい先生」の評価は誰がするんだろ。親がいい先生を期待してても教育を受けるのは子どもだしなぁ。その次にある「官邸のチェックで改めさせる」というのは、「内閣ができたらすぐに首相主導の「教育改革推進会議」を設置して、来年の3月くらいまでに結論を出す。」というとこを受けてるんだろう。
次の山谷内閣府政務官もこう発言している。

カリキュラムを実態に応じて見直すことができるのは、文科省ではなく官邸にきちんとした集団を作ることによって初めて実現する。

うーん。それはつまり政治的に教育にフィルターをかけたいということなのでしょうか。もしそうなるとしたら、必ず対応する民間組織が必要だと思う。
そもそも、これが全部採用されてまだ教師を必要人数確保できるんだろうか。
で、次の福田議員。

新のエリートの条件は、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて対局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。

これは藤原雅彦という人の「新のエリートが一万人いれば日本は救われる」という言葉を受けてのものらしいのですが、「救われる」かどうかはさておき、確かに、命をささげる覚悟で国の為に行動する人が一万人いたら、何かかわるだろう。しかしそこにぶら下げられる報酬はなんだろう。抽象的な報酬を信じるには、多くを知り過ぎてしまった。だからフィルターをかけようって、そういうことなんだろうか?

教育基本法愛国心を盛り込むべきだ。愛国心が駄目なら祖国愛と書くべきだと主張したら、衆院法制局が「祖国という言葉は法律になじまない」と言ったが、法律を作るのは官僚ではなく国会議員だ。

愛とは、義務づけられるものではないし、教育されるものであってもならないと思う。
たまたま日本に生まれたけど、今のところは暮らしやすい国だし、文化も気に入っている。っていうだけじゃ、だめなんでしょうか。
でも、なるべく多くの人にとって暮らしやすい国というのが愛される国なんだと思うけど、それって非現実的なのかな。