意志と言葉

相変わらず自由意志云々の話を考えていて、行動の原因としての「意志」が意志されることを考えると無限に後退していくというのは、ちょっとじっと考えてみればなるほど当たり前なことなのだけど、だとすると、もしかして意志とは、行動を意味付けるものなのだろうかと思った。そうじゃないこともありえた、と思うことも含んで、この生に意味をつける言葉が意志なのだとしたら、言語を持たずに生きるとはどういうことなのだろう。食べたい、とか、あそこまで走る、とか、そういう目的を、言語なしにどうやって「意志」するのか。「おなかすいた」というのを、言葉なしに感じている状態っていうのが、私には想像できない。もし私が言葉を知らなかったら、そこに当てはめる何か記号や色のようなものを、思い浮かべたりするのだろうか。