カポーティ

監督:ベネット・ミラー
小説家としても認められ、社交界でも派手な話題を振りまいていた頃のトルーマン・カポーティが、カンザス州でおこった一家惨殺事件に興味を持ち、ノンフィクション・ノヴェルという新たなジャンルを切り開くことになる『冷血』を書き上げるまでの日々を描いた物語。
「ノンフィクション」や「ドキュメンタリー」がいかにフィクションであるか、ということを改めて考えさせられる映画だった。
映画の中で、カポーティは殺人犯であるペリーに共感を覚え「自分は友人だ」と語りかけながらも、彼を利用し、彼の死によってもたらされる小説の完成を、待ち望んでいる。取材によって自らの想像をかきたてることで書かれ、観客の前で朗読される彼の文章は、ひたすら美しい。死者の顔にかけられた綿のことを、クリスマスツリーにつもった雪に例える*1などという、カポーティ独特の「表現」は、現実と摺り合わせたときに子供じみた残酷さをにじませてもいるのだけど、だからこそじつに魅力的なのだった。
刑務所の中にいるペリーにとってカポーティは、外とのほとんど唯一の接点であり、自らの友人として、拠り所に感じている。そしてその彼が、自分を題材に小説を書いているということ。それはペリーにとって、誇れることだったのかもしれない。映画ではそのように描かれていたと思う。しかしその友が書いている小説の題名が『冷血』であるということを知ったときのペリーの顔。「それは自分がつけたタイトルじゃないし正式なものでもない」と嘘をつくカポーティ
危うくて残酷で、しかし才能の固まりのようなカポーティと、彼以外の世界との間を繋ぐ点が「アラバマ物語」の作者でありカポーティの友人として知られるハーパー・リーの存在だったと思う。彼女を演じたキャサリン・キーナーは、すばらしかった。もちろんカポーティ役のフィリップ・シーモア・ホフマンも、ものすごい。「良心」というわかりやすいものを取り出すのではなく、常に利己的で、自戒すらも身勝手であるのに、カポーティは最後まで魅力的だった。
この映画を見て、改めて『冷血』発行当初、どのような形でそれが受け入れられたのか、知りたくなった。

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『冷血』の感想→ id:ichinics:20060829:p2

*1:文庫版p176