しあわせの理由/グレッグ・イーガン

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

先に『ディアスポラ』を読んでいたのですが、どうしても前提が把握できず、もやのなかを進んでるようだったので、めちゃめちゃ悔しいんだけど中断して、これを読みました。『祈りの海』もすごかったけど、これもすごい、面白かった。

「記述により、畳み込まれる無限」という概念。さらにはそれを可能にする「記述」自体に対する興味。アイデンティティの問題も、結局この「記述」に関する興味の一部になる。p445

という解説の言葉がぴったりだと思う。でもそれ以前に、まったく新しい/しかし想像できうる世界観をさらりと提示し、その世界観が光となって、物語に描かれる見慣れたものを、まるで見知らぬ風景に見せる。その切り口こそが、やはり魅力だと思う。
この本で目立つのは解説でも触れられている「アイデンティティ」を題材にした作品だった。手を変え品を変え、今私が持っている自我というものの不確かさを再確認させられるようで、体が宙に浮くような心もとなさと、かゆいところに手が届くような気持ち良さを同時に感じることができる。
以下特に気に入った作品について。ネタばれなので畳みます。
「移相夢」は脳を「複写」できる世界の話(とても大雑把な説明だけども)。プログラムを走らせることで発生するものだと説明される「移相夢」というアイデアが新鮮だった。結末は幻想的だけども、人間の自我が個であるとかオリジナルであるとかいうことに由来しているのだという考えが、一周回って肯定されるような話でもあると思った。
「ボーダー・ガード」はこの短編集の中でもっとも『ディアスポラ』の雰囲気に近い話だった、と思う。ディアスポラは、その状況がイメージしにくいことが足かせになっていたように思うけれど、これはぎりぎりなんとかいけたので、今なら読めるかもという希望になった。でも、これを読むと、このイーガンという人は、永遠に生きる/自我が保たれる、ということを肯定している(というか、どこか求めている?)のかなとも思えるけど、それはあまりに単純な読み方かもしれない。個人的には「悲劇主義者」と称される「グレイス」の行動のほうがはるかに共感できる。でも、既にそれが(永遠の自我が)あるのだ、としたら、そうは思えないのかもしれない。

グレイスが実現を願っていたものは、それがすべてだった。そしてグレイスはあるとき不意に、それがすべて成就されたことに気づいて、残りのなにもかもをどうでもいいものに感じるようになった。p306

必要悪、という言葉をあてるのは語弊があるとおもうけれど、満たされるということは全てがなくなるということに近い、と私は思っている。それでも満たされることを願うという矛盾が不思議で面白いとこでもあるんだけど。
そして表題作「しあわせの理由」。これはとても好きな、自分にとって大事な話だった。面白かった。脳の一部を失い、再生された男が、感情(この場合しあわせや快楽)というものはすべて、脳が感じていることにすぎない、という葛藤にとらわれる話なのだけど、先日考えてた「ほんとう」へのわだかまりなんて、これを読んだあとでは、すっかり解消されてしまった(ような気分になった)。またぐるぐると戻ることはありうるけれども、しかし、この物語の結末は、非常に好み。

そして、そうやって生きていくことが、ぼくにはできる。意味のないしあわせな気分と、意味のない絶望感がいりくんだ境界線上を歩いていくことが。もしかすると、ぼくは運がいいのかもしれない――その細い線上に踏みとどまるには、たぶん、線の両側に広がっているものをはっきり知っていることが、いちばんだいじなのだから。p424

意味もなく、ただそれを「選択した」ということ。それだけでいいのだと思う。