秋の日は釣瓶落とし/岡崎京子

秋の日は釣瓶落とし (アクションコミックス)

秋の日は釣瓶落とし (アクションコミックス)

アクションに掲載された2作品の初単行本化。
岡崎京子のすごさ、そのワン&オンリー感というのは、あまりにも語られすぎていて、考えにくい。「岡崎京子」という名前が、まるで何かの代名詞のように、その意味を改めて思い出すことすらなく歴史に馴染んでしまっているように感じる。
私も、岡崎京子の漫画はすごく好きで、今読んでも面白いなぁと思う作品は多いのだけど、何がそう思わせるのかは、よくわからない。ただ、熱心に読んでいた中・高校生の頃の読み方が、今はできなくなってしまったような気はしていて、それはたぶん、岡崎さんが時代というものを意識して、反映させながら作品を描いていたからこそなんだと思う。
この「秋の日は釣瓶落とし」は、たぶん過労死という言葉が出てきはじめの頃の作品で、佐川急便が云々という話もでてきたりするので、ああ昔の漫画なんだなぁと気付くけれど、それ以外の部分では、古さを感じさせることもなく、ただ岡崎京子の漫画だなと思う。すべてがいっぱいいっぱいになって、表面張力がくずれて水が溢れる、その瞬間を甘美に描くことがとてもうまい。いつもどおり祖父江慎さんによる装幀もさえていて、後半、舞台が暗転して後の紙色をかえているところなんて、気の利いた演出だなと思う。
けど、何かもの足りない。3話で序破急の構成は、少し急ぎすぎてるような気もする。それはつまり、その甘美な壊れ方にぐっとくるからこそ、もっとじっくり見たいなということでもあるんだけど、でも、「もの足りない」と思うのはむしろ、時代と結びついていたはずの、作品中にある空気を、私がもう感じ取れなくなってしまっているからなんじゃないか。
もちろん、すべての作品をリアルタイムで読んでいたわけではないし、この単行本に収録されてる作品は、初めて読むものだったというのもあると思うけど、「空気」の有効範囲みたいなものを意識したのは今回が初めてだった。学生の頃には、ピンとこなかった「時代」とかいう言葉が、振り返ってみたらあった、って気分だ。というか、あったんだな、と思うことで、はじめて「時代」という代名詞に補完されるのかもしれない。
今だったら、岡崎京子なら何を書くんだろうな。