生活感がない

あのね、僕はね、
ちょっと音楽に関係ないんですけど、
ジャージをはいてる人が嫌いなんです。
http://www.1101.com/kyoju/03.html

ジャージをはいてる人、一人で食事をする人、お客にアルバムを見せる人、それらの行為は、境がわかってない、生活を露出させてる感じがするわけで不愉快だという坂本龍一さん。
電車で化粧とか、そういうのもこの範疇に入るのかもしれないけど、それにしたって多くの人が反応*1しているように「ひとりで食事」はカテゴリ違うよねと思う。疑問に思ったことすらなかった。でもそれを言うなら、例えばファミリーレストランのファミリーの方が生活の延長線上にあって、そしてそれは正しい利用方法なんじゃないのか。まあ教授はファミレスいかないんだろうけど、そもそも食事は生活だしなぁ。ジャージの話にしても、例えばデートに部屋着ジャージだったらガックリくるだろうけど、コンビニにいる他人のことまで、そんな気にならない。「だらしないなぁ」と思うことはあるだろうけど、ジャージを理由に友達と「絶交した」という坂本さんの極端さはこわい。どんな生活してるんだろ。
芸術家だけに美的感覚の問題なのかもしれませんが、それってつまり他者の生活のリアルを見たくないってことで、なんかちょっと屈折したものを感じた。美しい国とかいう言葉でも思ったけど、他人の美的感覚を押し付けられることほど不愉快なこともないわけで。

ミュージシャンが逮捕されて怒って「もう聴かない!」とか言ってる人、わけわかんねーなんか曲変わったのかよ!?って思ってたんですけど、いまその気持ちが分かった。
http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20061123#1164291823

好きな作家とかミュージシャンとかのエッセイとか読むのためらうのは、こういうことってやっぱあるからだよなーと、思った。
以前「作品は好きでも作者に対する愛情があるかっていうと、ないかもしれない。エッセイなどを読んで、もっと好きになることもあるけれど、エッセイやインタビューでの発言は好きじゃないないな、同意できないな、と思うこともある。でもだからといって、好きだった作品が嫌いになったりはしない」……というようなきれいごとを書きましたけれども、(id:ichinics:20060207:p3)それはむしろ、好きな作品を嫌いになりたくないので、エッセイやインタビュ―を、遠ざけている、という方が正確かもしれない(もちろん、このひとは大丈夫だ、と思ったら積極的に見聞きするけど)。そして、あれを書いた切っ掛けは、そういえば矢野顕子さんの発言だったんですよね。坂本龍一にはあんまり興味ない(戦メリは最高だと思いますが)けど、矢野さんはずっと好きで、でもたまに、ぐさっとくる発言を目にするから、見ないでいたい人でもある。それは、問い返せない相手だからというのもあるんだろうな。
実は先日も好きな作家のサイン会にたまたまいきあったので、もらってみたら、名前についてつまんない冗談いわれたのがかちんときて、せっかく買った本読む気なくしたんだった。

追記@11/24/22:30

それでも、この対談を最初から最後まで読んでいくと、坂本さんが言いたいのは「でもそんな自分が嫌い」ってことなのか、それに無自覚なのか…? と勘ぐりたくなる感じです。まだ完結してないからわからないけど。ともかく、真に強く、発言が刺さるのはやはり矢野さんで、私が未だに忘れられないのは、「才能」についての話だったのですがそれは元の文が見つからないのでいつかあらためて。
書きっぱなしの文ですがブクマいただいてたので追記にしときます。
さらに続き(http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20061126/p2