ものを作る人/坂本さんについて

作品を作る人の中にも、いろんな人がいる。
自分と作品が一体になっている人、その人にしか見えないものを掘り出していくような人。感覚的/意識的という言葉のイメージに少し近い。さらに、そのスタンスとして、足りないものを埋めようとするやり方、不要なものを削ぎ落としていくやり方、を思い描く。これはなんだろうな、前者がスタージョンで後者がヴォネガットニルヴァーナと、ビートルズ、みたいな。
もちろんそれだけに分けられるわけではないし、その境界も曖昧で、どちらがいいとかいうことでもない(上に挙げた例は全部大好きなひとたちだし)。
ただ、そうやって頭のなかで分類しながら、先日(id:ichinics:20061124:p1)の坂本龍一さんの話を思い出してみると、極端に文字どおり削ぎ落としつつ、実は埋めているのかなと思えてきた。

坂本: (略)ある日、何かやってて、一緒にタクシー乗ってて、赤信号で止まった時に、僕がね、勝手に飛び出してって、そこにある牛丼を食べに行って。
牛丼屋があったの。そこに。ぱっと見たら。
おなかすいてたんで(笑)、タクシーに大森さんたちを残してさ、牛丼食べに行って。
糸井: くくくくく(笑)。
── それおいくつくらいの時ですか? 教授。
坂本: 26、7じゃないですかね‥‥。
糸井: ジャージ以下じゃないか!
坂本: (笑)。あ、そう、ジャージ以下。
食べて、また乗ってきたっていうね(笑)。
食べるの早いですからね。
http://www.1101.com/kyoju/08.html

一人でご飯食べてんじゃん、って話ですが、ともかく、こういうの嫌、美しくない、というので削いでいって、あの発言*1につながるのかなぁ、と思った。そしてそれは、坂本龍一さんの「掘り出していく」タイプの音楽(といっても私はそんなに聞いてないけど)にも現れてるとこだと思う。
でも、あのインタビューで話題の中心となっている矢野顕子さんは、差し引きを感じさせずに(インタビュー内でインプットが見えない*2といわれてるように)作品がそのまま自分の体になじんでいる希有な人だと思うし、彼等もそう評価している。そして、インタビューを読みすすめると、坂本さんはそれは自分に出来ないやり方だと考えて自分の方法を既に持っているのに、どこかその感覚的なあり方にルサンチマン的な感情を持ってるんじゃゃないかとかすごいうがったことを考えてしまった。

糸井: やだと思ってる人の方が、おもしろいですよ。
坂本: でしょう? そうすると、おもしろくなっちゃうとまずいんで(笑)、会わない。

坂本龍一って、インタビューとか読んだのはじめてなんですけど、もしかして、こういう人なの?