なんでもない日ばんざい

まずはじめに、それはいわゆる「悲観的」とされるような意味あいではありません。
生き始めて、生き終わる、ということを1日の流れに例えるなら、この1日はすでに暮れ始めている、というだけのことです。ついでに言えば季節によって日照時間の異なるように、白夜を迎える国があるように、私の思い描く1日の中でのこととして、とも言い添えておきます。
生きた年数の問題でもありません。足下は続いているけれど、いつからか引き込み線に入っていた。そんなふうにやってきたものを、私は晩年と呼びました。
もちろん、おまけだからといって、無駄に使うつもりはないですし、むしろこのおまけのためにプレイしてきたんだ、とも感じているわけですが、それは私がこの1日を、そのように思い描いたからだと思います。
そうやって、世界は何度でも語り直すことができます。
断片を取り出して長々と描写を続けることも、一文で簡潔にまとめることも可能です。否定と肯定を繰り返しながら、つまり、この日記に書かれていることはぜんぶ、そんなふうに1日を推敲しているにすぎません。
何度推敲しても、言葉が追いつくことはないと、私は薄々気づいています。こんなふうに、つかみ所のないことを書いていると、むしろ遠ざかっていくような気すらします。しかし、だからといってためらう必要があるでしょうか? 
世界にはまだまだ知らないことがあって、それには1日じゃとてもたりないのです。それってとてもすばらしいですね、と、その一言で終わらせることだって出来るのに、わざわざ言葉を重ねるのは、私がこのおまけを楽しんでいるからに他なりません。